明治改元(めいじかいげん)と大日本帝国(だいにっぽんていこく、だいにほんていこく)の国号
千八百六十八年一月三日(慶応三年十二月九日)には討幕派の主導に於いて睦仁親王(むつひとしんのう/明治天皇)は王政復古の大号令を発し、「新政府樹立」を宣言する。
同千八百六十八年十月二十三日(慶応四年九月八日)、元号を「明治」とする改元の詔書が出され、同年一月一日に遡って明治元年とすると定められた。
明治政府は何度か起こった朝鮮国内の事変後、清帝国を仮想的国とする海軍軍拡と増税を建議し、陸軍は三年後からの兵力倍増を、海軍は翌年からの八ヵ年で四十八隻の建艦計画を立てる軍備拡大を進め、千八百八十九年(明治二十二年)には徴兵令の免除規定を全廃している。
この徴兵令の免除規定全廃と時を同じくして千八百八十九年(明治二十二年)二月十一日に大日本帝国憲法(帝国憲法)が発布され、翌千八百八十九年(明治二十三年)十一月二十九日にこの憲法が施行されるにあたり「大日本帝国」と言う国名を称した。
初め、枢密院議長・伊藤博文が明治天皇に提出した憲法案では国号案は「日本帝国」で在ったが、憲法案を審議する枢密院会議の席上、副議長の寺島宗則が皇室典範案に「大日本」と在るので文体を統一する為に憲法も大日本に改める事を提案する。
これに対して憲法起草者の井上毅書記官長は、国名に大の字を冠するのは自ら尊大にするきらいがあり、内外に発表する憲法に大の字を書くべきでないとして反対するも結局、枢密院議長・伊藤博文の裁定により「大日本帝国」に決められた。
大日本帝国憲法(帝国憲法)の発布と国号としての「大日本帝国」の呼称制定は、まさに日清戦争の開戦前夜にあたる緊迫した世相の時期だった。
国号としての大日本帝国は通称では帝国また皇国とも称し、大日本帝国憲法発布時から千九百四十七年(昭和二十二年)の日本国憲法施行時までの約五十八年間、天皇が大日本帝国憲法を通じて統治する日本の国号として使用された。
幕末~明治維新・人名と事変の周辺記事なら【クリックリスト】がお薦めです。
関連記事
【明治天皇(めいじてんのう)・睦仁(むつひと)】に飛ぶ。
【明治維新(隠された明治維新)】に飛ぶ。
【桂小五郎(かつらこごろう/木戸孝允)】に飛ぶ。
【小松帯刀清廉(こまつたてわききよかど)】に飛ぶ。
【西郷隆盛(さいごうたかもり) 】に飛ぶ。
【大久保利通(おおくぼとしみち)】に飛ぶ。
【後藤象二郎(ごとうしょうじろう)】に飛ぶ。
【黒田清隆(くろだきよたか)】に飛ぶ。
【伊藤博文(いとうひろぶみ)】に飛ぶ。
【井上馨(いのうえかおる/井上聞多)】に飛ぶ。
【西郷従道(さいごうじゅうどう/つぐみち)】に飛ぶ。
【大山巌(おおやまいわお/弥助)】に飛ぶ。
【山縣有朋(やまがたありとも)】に飛ぶ。
【山本権兵衛(やまもとごんべい)】に飛ぶ。
【児玉源太郎(こだまげんたろう)】に飛ぶ。
【桂太郎(かつらたろう)】に飛ぶ。
【乃木希典(のぎまれすけ)】に飛ぶ。
【東郷平八郎(とうごうへいはちろう)】に飛ぶ。
【第六巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人
【このブログの一覧リンク検索リスト】=>【日本史検索データ】
<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)。★未来狂 冗談の公式HP(こうしきホームページ)
未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくる」<=このブログのランキング順位確認できます。by mmcjiyodan | 2010-10-05 21:19