乃木希典(のぎまれすけ)その(一)
希典(まれすけ)は三男では在ったが、先妻・秀との子・長兄・乃木信通、後妻・寿子との子・次兄・乃木次郎が相次いで夭折した為、事実上の長男として育っている。
希典(まれすけ)が生まれた長府藩上屋敷は現在の東京都港区六本木ヒルズに成っている場所で、幼少期に蚊帳の下で寝ていた処、蚊帳の金具が落ちて左目に当たった為、「左目がほぼ失明状態になった」とされる。
父・乃木希次(のぎまれつぐ)は石高五十石~百五十石の長門国長府藩・定府藩士で故実に詳しく、長州藩主・毛利慶親の嗣子・毛利定広の妻、銀姫(後に安子と改名)の守役や、藩の諸礼法師範、藩校敬業館の講師を勤め「故実家」として知られる存在だった。
乃木家は侍医の家とされ、宇多源氏流近江源氏・佐々木氏の佐々木高綱の子孫(高綱流・野木氏)を名乗り、吉田松陰の叔父に当たる松下村塾の創立者・玉木文之進(たまきぶんのしん)の玉木家は乃木家からの分家である。
井伊直弼(いいなおすけ)が大老に就任する千八百五十八年(安政五年)、九歳(数え十歳)に成った乃木希典(のぎまれすけ)は江戸から長府に帰郷し、若き希典(まれすけ)も松下村塾で玉木の教育を受けている。
つまり乃木希典(のぎまれすけ)は最初から「松下村塾」を中心とした勝ち組長州閥の一員で、維新後の人脈について不足は無かった筈である。
乃木希典(のぎまれすけ)は千八百四十九年(嘉永二年)十歳で玉木の松下村塾で学も、松陰の松下村塾には正式入門はしていない。
だが、希典(まれすけ)は長州藩内の保守派打倒に松陰門下の高杉晋作(たかすぎしんさく)等と連携し、倒幕活動に傾注する。
帰郷から七年、千八百六十五年(慶応元年)、長州藩では松下村塾出身の高杉晋作らが「元治の内乱」と呼ばれる内乱を馬関で挙兵して保守派を打倒するクーデターを起し倒幕派政権を成立させる。
高杉晋作らは、薩長盟約を通じてエンフィールド銃など新式兵器を入手し、大村益次郎の指導下で歩兵運用の転換など大規模な軍制改革を行った。
高杉らは西洋式軍制導入の為に民兵を募って奇兵隊や長州藩諸隊を編成し、十六歳(数え十七歳)に成っ希典(まれすけ)は長州藩諸隊の一つ長府藩・報国隊に入り奇兵隊に合流し幕府の第二次長州征討軍と戦う。
【乃木希典(のぎまれすけ)その(二)】に続く。
☆関連小説
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★松下村塾・関連小説【松下村塾関係者・維新顛末記】を参照下さい。
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