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二百三高地(にひゃくさんこうち)

二百三高地は、遼東半島・軍港旅順港を見下ろす標高二百三メートルの高台に築かれたロシア軍の要塞である。

旅順港は日清戦争の後、ロシア帝国が中国から租借して軍港と要塞を建設した東アジアに於ける軍事上の重要な要で、日露戦争の時にも旅順を母港としていたロシア旅順艦隊(第一太平洋艦隊)とう言う強力な海上兵力が在った。

ロシア帝国の東アジア進出の最重要地・旅順港は背後の丘陵地帯に堅固な要塞群を築いていて、その強固な陣地の一つが旅順港を見下ろす高台・二百三高地だった。

高い丘・二百三高地の上にロシア軍が死守する陣地があり、攻め落とそうにも丘の途中には身を隠す所もなく、丘の上からロシア軍の機関銃に大砲を撃ちかけられ、突撃を繰り返す日本兵は一方的に犠牲者を出す。

その為旅順陥落を為さしめる作戦に於いて二百三高地の攻防は戦略的に重要で、結果、この高地の支配を掛けて大規模な軍事的衝突となる。

日本軍は要塞と港への攻撃を敢行、ロシア軍は強固な陣地に大砲や機関銃を配備して迎え撃ち、日本兵にも露兵にも空前の死傷者を出す。

この戦闘で日本兵約六万人が倒れ、時の第三軍司令官・乃木希典(大将)は無能と糾弾されるが、これは事実である。

陸軍大将・満州軍総参謀長・児玉源太郎(こだまげんたろう)が希典を側面支援し、そして砲撃と突撃隊の突撃を同時に行い、二百三高地を半日で陥落させた。

三軍司令官・乃木希典が攻めあぐねていた二百三高地に対し、児玉総参謀長が火力の集中と言う要塞攻撃の常道を行う為、元々海岸防衛用の恒久据え付け砲で移動が困難な二十八センチ榴弾砲を、敵陣に接近した場所まで「一日で配置転換を行う」と言う奇抜な作戦を取った結果である。

多大な犠牲者を出した日本軍は状況を好転すべく重砲を投入し、十五センチ榴弾砲、そして二十八センチの巨大榴弾砲で攻略して散兵壕を破壊、ロシア軍は五千名近くの戦死者を出して撤退し、漸く二百三高地を奪取する。

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by mmcjiyodan | 2010-10-23 00:17  

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