黒田清隆(くろだきよたか)その(一)
千八百四十に清隆(きよたか)が生まれたと言う事は、同じ頃に明治新政府で活躍した長州の桂太郎よりは八歳年上で、同郷の偉大な英雄・西郷隆盛の十二歳年下にあたる。
清隆(きよたか)は長じて藩に出仕し、薩摩藩の砲手に任用となり、剣術でも示現流門下として有数の使い手で、後年宗家の東郷重矯より皆伝している。
千八百六十二年(文久二年)八月、武蔵国橘樹郡生麦村(現・神奈川県横浜市鶴見区生麦)付近に於いて、薩摩藩主の父・島津久光の行列に乱入した騎馬の英国人を、供回りの藩士が殺傷した事件を生麦事件と言う。
生麦事件当時の薩摩藩行列のには一行の中には、後に維新の立役者となる大久保利通もいた。
この時には、二十二歳の清隆(きよたか)が随行の一人として生麦事件に居合わせたが、自らは武器を振るわず「抜刀しようとした者を止めた」と言う。
千八百六十三年(文久三年)、清隆(きよたか)は生麦事件の賠償を要求する英国との間で起こった薩英戦争に参加した後、大山巌と共に江戸で江川太郎左衛門の塾に入り西洋砲術を学び皆伝を受けた。
千八百六十六年(慶応二年)の薩長同盟に際しては、盟約の前に薩摩側の使者として長州で同盟を説き、大坂で西郷隆盛と桂小五郎の対面を実現させた後、再び長州に使者として赴いている。
千八百六十八年(慶応四年)戊辰戦争が勃発し、薩長同盟の繋ぎ役を務めた黒田清隆(くろだきよたか)は、鳥羽伏見の戦いで薩摩藩の小銃第一隊長として戦った。
同千八百六十八年(慶応四年)三月、北陸道鎮撫総督・公卿・高倉永? (たかくらながさち)の参謀に、薩摩の黒田清隆は長州の山縣有朋とともに任命される。
北越戦争に際して清隆(きよたか)は、長岡藩を降伏させ新発田藩を降し新潟を占領して所期の目標を達し越後の戦闘が決してから秋田に上陸して庄内を背後から攻略、西郷隆盛と合流して米沢藩と庄内藩を帰順させ鶴岡城を接収してこの北越・北陸日本海方面の戦闘を終わらせた。
その任務終了後、清隆(きよたか)は一旦鹿児島に帰り、翌千八百六十九年(明治二年)一月に軍務官出仕に任命される。
箱館戦争が始まると、清隆(きよたか)は二月に清水谷公考中将の参謀を命じられ、三月に東京を出港し途中、宮古湾停泊中に旧幕府軍の新政府軍・主力艦「甲鉄」奪取作戦である宮古湾海戦に遭遇している。
四月十九日日に清隆(きよたか)は蝦夷の江差に上陸して旧幕府軍との最後の戦いの総指揮を取り、五月に成って旧幕府軍が箱館に追い詰められたのを見て、助命の為の内部工作を手配している。
五月十一日の箱館総攻撃では、清隆(きよたか)自ら少数の兵を率いて背後の箱館山を占領し、敵を五稜郭に追い込んで榎本武揚に降伏を勧め、武揚は十七日に降伏した。
戦後処理に於いて、清隆(きよたか)は榎本助命を強く要求して、厳罰を求める者と長い間対立し、彼の為に丸坊主に成った事もあり、榎本問題は二年六ヶ月を費やして千八百七十二年(明治五年)一月六日に漸く榎本らを謹慎、その他は釈放として決着した。
その榎本助命交渉の最中も、樺太でのロシアの圧力が増した為、千八百六十九年(明治二年)八月に開拓使長官として赴任していた「七卿落ち」の公卿の一人だった東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)を補佐する形で、千八百七十年(明治三年)五月に清隆(きよたか)は樺太専任の開拓次官と成った。
開拓次官と成った清隆(きよたか)は七月から樺太に赴き、現地のロシア官吏との関係を調整し、北海道を視察して十月に帰京し、二十日に建議して、樺太は3年も持たないとし、北海道の開拓に本腰を入れなければならないと論じた。
【黒田清隆(くろだきよたか)その(二)】に続く。
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