日露戦争(にちろせんそう)その(二)・日露交渉
千九百三年八月から始まった日露交渉に於いて、日本側はロシア側へ朝鮮半島を日本、満洲をロシアの支配下に置くと言う妥協案、所謂(いわゆる)「満韓交換論」を提案した。
しかし、積極的な主戦論を主張していたロシア海軍や関東州総督のエヴゲーニイ・アレクセーエフらは、朝鮮半島でも増えつつあったロシアの利権を妨害される恐れのある妥協案に興味を示さなかった。
更に常識的に考えれば強大なロシアが日本との戦争を恐れる理由は何も無く、ニコライ二世やアレクセイ・クロパトキン陸軍大臣も主戦論に同調した。
唯一セルゲイ・ヴィッテ首相は、戦争に拠って負ける事はないにせよロシアが疲弊する事を恐れ戦争回避論を展開したが、これは皇帝達主戦派に拠って退けられた。
ロシアは日本側への返答として、朝鮮半島の北緯三十九度以北を中立地帯とし、軍事目的での利用を禁ずると言う提案を行った。
日本側では、この提案では日本海に突き出た朝鮮半島が事実上ロシアの支配下となり、日本の独立も危機的な状況になりかねないと判断した。
またシベリア鉄道が全線開通するとヨーロッパに配備されているロシア軍の極東方面への派遣が容易となるので、その前の対露開戦へと国論が傾いた。
千九百四年二月六日、終(つい)に日本の外務大臣・小村寿太郎は当時のロシアのローゼン公使を外務省に呼び、国交断絶を言い渡した。
千九百四年二月、開戦前に「局外中立宣言」をした大韓帝国に於ける日本の軍事行動を可能にする為に日韓議定書を締結し、開戦後の八月には第一次日韓協約を締結、大韓帝国の財政、外交に顧問を置き条約締結に日本政府との協議をする事とした。
大韓帝国内でも李氏朝鮮王朝による旧体制が維持されている状況では独自改革が難しいと判断した進歩会は日韓合邦を目指そうと鉄道敷設工事などに五万人とも言われる大量の人員を派遣するなど、日露戦争において日本への協力を惜しまなかった。
農民階級(東学党→進歩会)と支配階級出身で朝鮮の近代化をめざす改革派知識人グループ(維新会)が意見が合い、進歩会を吸収して親日団体「一進会(イルチンフェ)」を設立する。
一方、李氏朝鮮王・高宗(コジュン)や両班(ヤンバン/特権貴族)などの旧李朝支配者層は日本の影響力をあくまでも排除しようと試み、日露戦争中に於いてロシアに密書を送るなどの外交を展開して行った。
つまり大韓帝国内も新勢力は日本側、旧勢力はロシア側に接近して権力攻守の後ろ盾としていたのである。
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