日露戦争(にちろせんそう)その(四)・満州遼陽(りょうよう)会戦
この頃ロシアのウラジオストク艦隊は、六月十五日に輸送船常陸丸を撃沈する事件を起こすなど活発な通商破壊戦を続けていた。
遼東半島の大連を占領した第二軍は、占領後第一師団を残し遼陽を目指して北上、六月十四日、旅順援護の為南下して来たロシア軍部隊を得利寺の戦いで撃退、七月二十三日には大石橋の戦いで勝利する。
海軍陸戦重砲隊が旅順要塞への砲撃を開始し、これを受けて旅順艦隊は旅順から出撃、八月十日、東郷平八郎大将率いる連合艦隊との間で黄海海戦となった。
この海戦で連合艦隊は旅順艦隊の巡洋艦三隻他を撃沈したが、主力艦を撃沈する事は適わず、取り逃がしている。
八月十四日、上村彦之丞中将率いる日本海軍第二艦隊は蔚山沖でようやくウラジオストク艦隊を捕捉し、海戦と成って大損害を与えその後の活動を阻止した。
他方陸軍は七月の大本営通達を受けて、乃木希典大将率いる第三軍は旅順攻囲戦の第一回総攻撃を八月十九日に開始したがロシアの近代的要塞の前に死傷者一万五千という大損害を受け失敗に終わる。
八月末、日本陸軍の第一軍、第二軍および野津道貫大将率いる第四軍は、満洲の戦略拠点遼陽(りょうよう)へ迫った。
八月二十四日-九月四日の遼陽会戦では、第二軍が南側から正面攻撃をかけ、第一軍が東側の山地を迂回し背後へ進撃するもロシア軍の司令官クロパトキン大将は全軍を撤退させ、日本軍は遼陽を占領したもののロシア軍の撃破には失敗した。
十月九日-十月二十日にロシア軍は攻勢に出るが日本軍の防御の前に失敗、その後両軍は遼陽(りょうよう)と奉天(現・瀋陽)の中間付近を流れる沙河の線で対陣に入った。
一方、遼陽(りょうよう)と奉天(現・瀋陽)の中間付近、沙河では両軍の対陣が続いていたが、ロシア軍は新たに前線に着任したグリッペンベルク大将の主導のもと、千九百五年一月二十五日に日本軍の最左翼に位置する黒溝台方面で攻勢に出た。
一時、日本軍は戦線崩壊の危機に陥ったが、秋山好古(あきやまよしふる)少将、立見尚文中将らの奮戦により危機を脱し、二月には旅順攻略を完遂した第三軍がこの戦線に到着した。
日本軍は、ロシア軍の拠点・奉天へ向けた大作戦を開始、まず二月二十一日に日本軍右翼が攻撃を開始、続いて三月一日から左翼の第三軍と第二軍が奉天の側面から背後へ向けて前進した。
ロシア軍は予備を投入し、左翼の第三軍はロシア軍の猛攻の前に崩壊寸前になりつつも前進を続け、三月九日になるとロシア軍の司令官クロパトキン大将は撤退を指示、日本軍は翌十日に奉天を占領したが、またもロシア軍の撃破には失敗した。
一連の戦いで両軍とも大きな損害を受け作戦継続が困難となった為、その後は終戦まで奉天・四平街付近での対峙が続いた。
【日露戦争(にちろせんそう)その(五)・旅順港】に続く。
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