常識(じょうしき)と言う奇妙な言語
そもそも「常識」とは、コモンセンス(common sense)の訳語として明治時代頃に日本に普及し始めた言葉で、良識、社会通念、一般知識と言った意味に使用されている。
「常識」の普及前に使っていた似たような言葉に「世の常」があるが、この場合いの「世の常」の意味は自然発生的な世の中の常態を指す言葉で、言わば真言宗を広めた弘法大師(空海)の教え、「あるがまま」の境地に近い。
この物語の第五章で詳細を記述するが、この「あるがまま」が、日本が誇る和合精神文化の「共生主義」として実践されていた。
とある作家兼政治家が、過って「日本の常識は世界の非常識」と言ったが、基々のコモンセンス(common sense)の意味は、盗んでは成らない、傷付けたり殺してはならない、騙しては成らないなどの基本的良識だったものが日本的に訳語されて、常識(じょうしき)と言う奇妙で不可解な言語が日本中を蔓延(はびこ)っている。
しかしながら、凡(およ)そ人間が考える「常識」と言うものは、粗方(あらかた)その方の思い込みに過ぎない。
その思い込みを振りかざして「常識だ」と強く主張するのだが、常識は時代や環境で変化するものであるから、絶対性はまったく無いのである。
人間には右脳の感性と左脳の理性があり、歴史に付き纏(まと)う事柄にはその双方が入り混ざり合った「虚(きよ)の常識が存在する。
例えば信仰対象に多い「虚(きよ)の常識」で有名なのは「聖徳太子の存在」で、良く「テレビ番組の常識問題」とやらで聖徳太子の事柄を正解不正解としているが、専門分野ではその存在さえ疑われているのに「虚(きよ)の常識」では正解不正解が在るのだ。
しかしそうした「虚(きよ)の常識」は、つまり「時代の常識」と言う概念で考えれば、戦前と戦後と比較するだけで主権者が天皇から国民に移っているのである。
そして貴方が真剣に考えれば、御自分の過ごして来た短い間を振り返るだけでも、随分と「常識」が変わった事に気がつく筈で、近頃流行(はや)りの「マイ常識(独自解釈)」など何の意味も無い。
そんな貴方が、普段「常識だ」と思い込んでいる絶対性が無い事を、「常識だ」と言って間単に処理してしまうから、他人に対して間違った対処をしてしまう事も多いのである。
本来のコモンセンス(common sense)は、人が共生して行く上で必要な「良識的社会通念」であり、例えば排他的帰属意識(民族意識)を振りかざして「マイ常識(独自解釈)」を主張しても本来の意味とは掛け離れては国際的合意は得られない。
また、夫婦別姓問題に於いて歴史的経緯を無視し、現状を振りかざして「夫婦同姓が常識だ」と主張しても、それは「マイ常識(独自解釈)」に過ぎない。
この「常識」とか「普通」と言う言葉は、概して同じ様な用法で用いられる。
表現を変えれば「既成概念」であるが、両者伴に時代や環境に拠って変化するものである。
実は近年では、誰かが「意図的に変える」と言うよりも、社会がその必要性に於いて自然に選択するもので、絶えずその変化を認識しながら生きる者が、「知恵のある生き方」と言える。
詳しくは小論【常識(じょうしき)と言う奇妙な言語】を参照。
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