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観応の擾乱(かんのうのじょうらん)と足利直義(あしかがただよし)〔三〕

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南朝方は北畠親房(きたばたけちかふさ)の指揮の下、東西で呼応して京と鎌倉の同時奪還を企て、千三百五十二年(正平七年)二月には尊氏の征夷大将軍を解任し、代わってこれに就任した宗良親王(むねながしんのう)を奉じた新田義興(にったよしおき)、新田義宗(にったよしむね)らが鎌倉を奪還した。

この情勢に、弟・足利直義を破ったばかりの足利尊氏は武蔵へ逃れる。

南朝方主力の楠木正儀(くすのきまさのり)や北畠顕信(きたばたけあきのぶ)、千種顕経(ちぐさあきつね)、千三百五十二年(正平七年)直義派であった山名時氏(やまなときうじ)などが京都を攻略し、義詮は近江へ逃れ、正平一統は破れる。

この時北朝方の光厳上皇(こうごんてんのう/北朝第一代)、光明上皇(こうみょうてんのう/北朝第二代)、崇光上皇(すこうてんのう/北朝第三代天皇)、直仁親王(なおひとしんのう)が京都に取り残され、南朝方に捕われて賀名生(あのう/奈良県五條市)へ連行された。

南朝方が京と鎌倉を同時占拠すると、後村上天皇は賀名生(あのう)から山城国男山(京都府八幡市の石清水八幡宮)へ到り、近江へ逃れた足利義詮(あしかがよしあきら)は正平一統を破棄、正平七年の年号を観応三年に戻し協議された統一案も破棄されるが、一部は影響した。

足利義詮(あしかがよしあきら)は諸守護を動員し、美濃の土岐氏、四国の細川氏、播磨の赤松氏、近江の佐々木氏らの勢力を集め、足利直義派であった山名氏斯波氏らの協力も得て、三月に京都を奪還、尊氏も新田勢を追い鎌倉を奪還している。

こうした南朝方不利の情況で、後村上天皇は五月に山城八幡から賀名生(あのう/奈良県五條市)に逃れるもこの際、従っていた四条隆資が戦死している。

この観応の擾乱(かんのうのじょうらん)により、足利尊氏・直義(ただよし)の両者に分割されていた将軍の権力は尊氏のもとに一本化される。

将軍の親裁権は強化されるが、高師直(こうのもろなお)に拠って吉野を陥落させられ滅亡寸前にまで追い込まれた南朝方に、直義(ただよし)・尊氏が交互に降るなど息を吹き返し延命した為、南北朝の動乱が長引いたと言う指摘もある。

尊氏が南朝方に降った時に南朝方が要求した条件に「皇位は南朝に任せる」と言う項目が在った為、北朝方の皇位の正統性が弱められる結果となった。

治天の君(ちてんのきみ/実権掌握者)であった光厳上皇、天皇を退位した直後の崇光上皇、皇太子・直仁親王が南朝に連れ去られ、南朝方の後醍醐天皇が偽器であると主張していた北朝方の三種の神器までもが南朝方に接収された。

北朝方は治天・天皇・皇太子・神器不在の事態に陥り、幕府にとっても尊氏が征夷大将軍を解任された為、幕府自体が法的根拠を失ってしまう状況になった。

最終的な政治裁可を下しうる治天・天皇の不在がこのまま続けば、京都の諸勢力(公家・幕府・守護)らの政治執行がすべて遅滞する事になり、ここに幕府・北朝方は深刻な政治的危機に直面する事になる。

事態を憂慮した二条良基は勧修寺経顕や尊氏と相計って、光厳・光明の実母広義門院に治天の君となる事を要請し、困難な折衝の上漸く受諾を取り付け、広義門院が伝国詔宣を行う事によって崇光弟の後光厳天皇即位が実現する事となった。

「続本朝通鑑」に拠ると、二条良基は神器なしの新天皇即位に躊躇する公家に対して「尊氏が剣(草薙剣)となり、良基が璽(八尺瓊勾玉)となる。何ぞ不可ならん。」と啖呵を切ったと言われている。

実は当時、即位に当たって神器の存在は必ずしも要件とはされておらず、治天による伝国詔宣(でんこくしょうせん)により即位が可能であるとする観念が存在していた。

つまり南朝方が、治天を含む皇族を拉致したのはその為だが、女性を治天にすると言う盲点を衝いた事になる。

後光厳、後円融、後小松、称光と四代に渡って後光厳系が皇位についた一方、兄筋の崇光上皇の子孫は嫡流から排されて世襲親王家である伏見宮家として存続し、北朝内部でも皇位継承をめぐる両系統間の確執が在ったとされている。

結局、後光厳の系統は称光の代で途絶え、次の後花園天皇(ごはなぞのてんのう/第百二代・崇光の曾孫)以降、皇位は崇光系が受け継ぐ事となった。

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観応の擾乱(かんのうのじょうらん)と足利直義(あしかがただよし)〔一〕に戻る。

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by mmcjiyodan | 2011-02-06 15:33  

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