額田王(ぬかたのおうきみ)
推古大王(すいこおおきみ/第三十三代女帝)の皇女時代の名が額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)で在る事から、額田王(ぬかたのおうきみ)は相応の身分で在った事は否定出来ない。
額田王については残された文献が少なく「万葉歌人」で有名な他は余り判っていないが、一説には中臣鎌足の妻・鏡王(かがみのおおきみ)の「子であるとか妹であるとか」言われている。
「日本書紀」の記述に、額田王(ぬかたのおうきみ)は鏡王(かがみのおおきみ)の娘で大海人皇子(おおあまのみこ/天武天皇)に嫁し十市皇女を生むとある。
鏡王(かがみのおおきみ)は、王(おうきみ)の尊称から皇族(王族)と推定され一説に宣化天皇の曾孫、或いは近江国野洲郡鏡里の皇胤豪族で「壬申の乱の際に戦死した」とも言われている。
「万葉集」に収められた歌のみであるが、額田王(ぬかたのおうきみ)は十市皇女の出生後、天武大王(第四十代天皇)の兄である「中大兄皇子(天智大王・第三十八代天皇)に寵愛された」と言う説も根強く伝わっている。
また、歌の解釈から額田王(ぬかたのおうきみ)が大海人皇子(おおあまのみこ/天武大王・天皇)と中大兄皇子(なかのおおえのおうじ/天智大王・天皇)の両者と「同時期に情を通じている」とされるのは、その歌が「単なる宴席での座興」とする説も在る。
しかしながら、大海人皇子(おおあまのみこ)の疑惑に信憑性が在るのであれば、性におおらかな当時の事では額田王(ぬかたのおうきみ)は単に権力者の間を行き来しただけなのかも知れない。
額田王(ぬかだのおおきみ)は最初、大海人皇子(おおあまのみこ・天武大王・天皇)の妻で、後に弘文天皇の妃に嫁ぐ事になり子まで為している。
その額田王を、兄の天智大王(天皇/中大兄皇子)が自分の妃に奪っているのだ。
しかし歴史学者によっては、額田王は、天智大王(てんちおおきみ/第三十八代天皇)の元に嫁いでも、大海人皇子との関係も「続いていた」とする者もいる。
詳しくは小論・【大海人皇子(おおあまのみこ)は何者か?】を参照下さい。
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