忌部氏(いんべうじ)
正直、大王家(おおきみけ/天皇家)を始め、この後に歴史に名を出す藤原氏(中臣氏)や蘇我氏、物部氏、賀茂氏など、全ての有力部族は独自の神道祭祀を司る神道家の側面を持って居て、忌部氏(いんべうじ)もそうした氏族のひとつだった。
古文書には「諱部(いんべ)」、「鋳部(いんべ)」、「伊部(いんべ)」とも表記する例もあり、古来より宮廷祭祀に於ける、祭具の製造・神殿宮殿造営に関わって来た。
祭具製造事業のひとつである玉造りの需要が古墳時代までで以後衰えたのだが、この事が忌部氏のその後の不振に繋がって勢力が衰えた。
忌部氏(いんべし・いみべし)とは、古墳時代から奈良時代にかけての穢れ(ケガレ)を忌みして神事などに奉仕する氏族的職業集団で、当初は中臣氏と勢力を争ったが余り振るわず、中臣氏が祭祀の職を占有するようになって次第に衰退して行った。
しかしその子孫は各地に広がって、阿波国の阿波忌部氏、讃岐国の讃岐忌部氏、紀伊国の紀伊忌部氏、出雲国の玉作氏(たまつくりうじ)、筑紫国の筑紫忌部氏、伊勢国の伊勢忌部氏などが居た。
忌部(いんべ)氏の子孫は後に斎部(いんべ)を名乗り、その一支族が代々織田氏の氏神・剱(つるぎ)神社(織田神社)の神官や織田の庄の地頭を勤めていた。
その剱(つるぎ)神社、別称・織田神社の神官から武門に転進したのが、尾張国や若狭国など各地の守護職を務める斯波氏の守護代家として織田家が在ったのである。
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by mmcjiyodan | 2011-03-05 02:55