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郷士(ごうし)・下士(かし/下級氏族)

郷士は、江戸時代に在った階級の一つであり、大名家臣団の秩序の中に組入れられている者で「半農の武士」と言う定義がある武士の一種である。

これは歴史的に言うと織田信長が変革を試みた「一所懸命時代」の名残であるが、名字帯刀を許されており、家系がはっきりしている者も多い。

過って武家であり、過っての戦国大名の一族や家臣が敗戦などで主家を失い、仕官せず土着・帰農した者が、兵農分離時に在地を離れず、新たな領主から郷士とされた者で、在地に於ける一定の実力者であり、新たな領主がその懐柔策として取り立てたのが「郷士」と言う下級武士の身分である。

通常、江戸時代に於ける武士は城下に集住する(こちらを城下士という)のに対し、在方(郷)に住む為にこう呼ばれた。

身分は概ね城下に住む武士より下、一般的な百姓(豪農・豪商を含む)より上と言う身分的中間層であるが、地方(各藩・各大名家)によって実態は千差万別で在った。

年貢米を財政の基礎とする形態の性質上、江戸時代の農村部では過酷な搾取が続いていた。

今でこそ百姓と言うと「農業従事者の事を指す」と理解されている様であるが、その生い立ちは違う。

氏姓制度の変革により、江戸期に入って武士と百姓は大きく身分が分類される様になるが、そもそもの「百姓」は、姓を有し家系がはっきりしている多くの下級氏族の総称から始まっている。

つまり氏族の出自であれば、携わる業務に関わり無く本来は百姓なのである。

当然氏族は、農園の経営のみならず、寺社の神官・僧侶から鍛冶師、薬師、商業まで営みを手広く広げていた。

このように、日本の士農工商の成り立ちの経緯を勘案すると、江戸期以前は神仏の宮司・僧侶を含め、士農工商の全ては武人である氏族の兼業形態が普通だった。

つまり、畿内を中心に堺、浪速、近江等の大店(おおだな)の商家も、安土桃山期頃から武士兼業の商工氏族が商業に特化したものが多かった。

従って、名字帯刀の特権をもって始まった豪商の感覚は、御家大事の「一所懸命」を持ち合わせた氏族感覚を持ち合わせていた。

従って江戸期以前は、一つの業種を専業で生業(なりわい)としていても、それが身分を現すものでは無かったのである。

豊臣秀吉の「太閤刀狩り」以後、行政上の都合により兵農分離が始まり、新たな身分制度が確立する。

ここで問題なのが、元々その土地にあって力を有し、家系がはっきりしている下級氏族の「百姓」の新たな身分制度への組み込みである。

武家として取り上げられ、大名家に仕官する者、仕官せず土着・帰農しても刀を捨てずに郷士(半農の武士)と成る者、培った勢力を生かし、名字帯刀を許された特権の豪農・豪商に変身して行くものも現れる。

間違えてはいけないのは、百姓町人の中から頭角を現して「名字帯刀を許された者」も確かに居るには居たが、初期の段階では元々旧体制の下級氏族が、勢力を維持したまま、当初は豪農・豪商に変身して名字帯刀の特権も認められたのである。

従って、ここで言う百姓とは家系がはっきりしていて農業経営を専業で生業とする下級氏族の出自を持つ大庄屋、庄屋、村長、村役などの特権豪農の事であり、農業経営者は所謂土地無しの農業従事者とは身分も違ったのである。

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皇統と鵺の影人

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by mmcjiyodan | 2011-03-25 21:44  

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