菊池氏(きくちうじ)
しかし菊池氏(きくちうじ)の本姓・藤原氏には疑問を持つ研究者も多く居て、藤原氏本姓説の真贋は不明である。
菊池氏(きくちうじ)には、菊池周辺に土着していた勢力・古代鞠智族(こだいくくちぞく)後裔説があり、鞠智(くくち)とは山の麓の谷から平野へ出る口を指すと言われる説で在り、つまり阿蘇氏(あそうじ)と並び古代ヤマト王権(大和朝廷)成立以前から肥後国に存在した部族の可能性もある。
菊池氏(きくちうじ)が中央に名を轟かせたのは、元弘の乱(げんこうのらん)に後醍醐天皇に与力して活躍した菊池武重(きくちたけしげ)である。
菊池武重(きくちたけしげ)は、菊池千本槍(きくちせんぼんやり)の武功で戦前の忠孝教育に利用されて有名だった。
鎌倉時代後期、菊池武重(きくちたけしげ)の父・菊池武時は討幕運動に賛同して九州における北条氏勢力である鎮西探題の北条英時を攻めるが、英時に加勢した少弐氏や大友氏により討たれてしまう。
その後も菊池氏一族は後醍醐帝に助力、建武の新政に参加する。
しかし、鎌倉幕府滅亡後に後醍醐天皇により開始された建武の新政から足利尊氏が離反し、一時後醍醐帝方に京都を追われた尊氏は九州へ逃れた時、少弐貞経の子の少弐頼尚が赤間関へ尊氏を迎えるために赴いたのに対して、後醍醐帝(宮方)勢力であった菊池武敏は大宰府を攻めて少弐貞経を滅ぼす。
その後の千三百三十五年(建武二年)、菊池武時の子・武重が新田義貞陣営に加わり足利勢の足利直義と箱根・竹ノ下に対峙、有名な「菊池千本槍(きくちせんぼんやり)」の奇功を成功させる。
この菊池千本槍が、後の戦法に大きな影響を残す新型の戦法である。
この菊池氏の後裔として有名なのは菊池流・垂水西郷氏で、明治維新の立役者・西郷隆盛を輩出している。
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