島津義久(しまずよしひさ)〔一〕
千五百五十四年(天文二十三年)、義久(よしひさ)は島津氏と蒲生(がもう)氏、祁答院(けどういん)氏、入来院(いりきいん)氏、菱刈(ひしかり)氏などの薩摩・大隅の国衆の間で起きた岩剣城攻めで初陣を果たす。
以後、国衆との戦いに従事しており、千五百五十七年(弘治三年)には蒲生氏が降伏し、その九年後の千五百六十六年(永禄九年)、薩摩統一の途上に義久は父の隠居により家督を相続し、島津家第十六代当主となっている。
島津氏の家督を継いだ島津義久(しまづよしひさ)は、国衆(国人衆)が割拠する薩摩・大隅・日向の三州を制圧、九州北上をする。
千五百六十九年(永禄十二年)に大口から相良氏と菱刈氏を駆逐すると、翌千五百七十年(元亀元年)には東郷氏、祁答院氏が降伏、ようやく薩摩統一がなった。
千五百七十二年(元亀三年)五月になると、以前から日向真幸院の帰属を巡って関係が悪化していた日向国の伊東義祐(いとうよしすけ)が重臣の伊東祐安(いとうすけすけやす)に三千人の軍勢を与えて島津方への侵攻を開始し、飯野城にいた義久の弟・島津義弘がこれを迎え撃った。
この木崎原の戦いで島津軍は、敵将・伊東祐安を筆頭に兵五百人以上を討ち取る圧勝を挙げ、これと同時に、並行して大隅の統一も展開しており、千五百七十三年(天正元年)に禰寝(ねず)氏を、翌年には肝付(きもつきし)氏と伊地知氏を帰順させて大隅の統一も果たしている。
最後に残った日向に関しては、千五百七十六年(天正四年)伊東氏の高原城を攻略、それを切っ掛けに「惣四十八城」を誇った伊東方の支城主は次々と離反し、伊東氏は衰退の一途を辿る。
こうして伊東義祐は豊後国の大友宗麟(おおともそうりん)を頼って亡命し、三州統一と言う島津氏の悲願が達成された。
伊東義祐(いとうよしすけ)が亡命した事により豊後・大友宗麟が千五百七十八年(天正六年)秋、大軍を率いて日向に侵攻して来る。
侵攻して来た宗麟は務志賀(延岡市無鹿/無鹿は宗麟の名付け)に止まると、田原紹忍が総大将に任命され、田北鎮周・佐伯宗天ら四万三千を率いて、戦いの指揮を取る事になる。
この大友軍侵攻時、島津軍は家老・山田有信を高城に、後方の佐土原に末弟・島津家久を置いていたが、大友軍が日向に侵攻すると家久らも高城に入城し、城兵は三千余人となった。
大友軍は高城を囲み、両軍による一進一退の攻防が続いたが、翌月には義久が二万余人の軍勢を率いて出陣し佐土原に着陣する。
島津軍は大友軍に奇襲をかけて成功し、高城川を挟んで大友軍の対岸の根城坂に着陣した。
大友軍は、当主・宗麟が居ない事もあり、団結力に欠け、大友軍の田北鎮周が無断で島津軍を攻撃し、これに佐伯宗天が続いた。
無秩序に攻めて来る大友軍を相手に義久は「釣り野伏せ」という戦法を使い、川を越えて追撃してきた大友軍に伏兵を次々と出し、大友軍を壊滅させる。
この通称「耳川の戦い」とも「高城川の戦い」とも呼ばれる戦いで、島津方は田北鎮周や佐伯宗天を始め、吉弘鎮信や斎藤鎮実、軍師の角隈石宗など主だった武将を初め二千から三千の首級を挙げた。
また千五百八十一年(天正九年)には肥後国・球磨の相良氏が島津氏に降伏、これを帰順させている。
「耳川の戦い(高城川の戦い)」で大友氏が衰退すると、肥前国の龍造寺隆信が台頭して来る。
龍造寺隆信の圧迫に耐えかねた有馬晴信が八代にいた義弘・家久に援軍を要請して来た為、それに応えた島津軍は千五百八十二年(天正十年)、龍造寺方の千々石城を攻め落とした。
翌年に成ると、有馬氏の親戚である安徳城主・安徳純俊が龍造寺氏に背き、島津軍は八代に待機していた新納忠堯・川上忠堅ら千余人が援軍として安徳城に入り、深江城を攻撃した。
千五百八十四年(天正十二年)、義久は家久を総大将として島原に派遣し、自らは肥後の水俣まで出陣する。
家久は島原湾を渡海し、安徳城に入った。
有馬勢と合わせてその数五千余りで、龍造寺軍二万五千(六万説あるも??)と言う圧倒的兵力に立ち向かう。
家久は沖田畷と呼ばれる湿地帯にて、龍造寺隆信を初め一門・重臣など三千余人を討ち取り、見事に勝利し、ほどなくして龍造寺氏は島津氏の軍門に降る事となる。
龍造寺氏が島津氏の軍門に降り、肥後国の隈部親永・親泰父子、筑前国の秋月種実、筑後国の筑紫広門らが、次々と島津氏に服属や和睦して行った。
この千五百八十四年(天正十二年)、中央では豊臣秀吉と徳川家康が対峙した小牧・長久手(長湫)の戦い(こまき・ながくてのたたかい)が起こった年で、豊臣政権が確立し始める頃である。
島津義久(しまずよしひさ)〔二〕に続く。
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