後胤貴族(こういんきぞく)
つまり貴方様にも、既に後胤(こういん)を得たかこれから後胤(こういん)を得る事もある。
しかし後ろに貴族(きぞく)が付いて後胤貴族(こういんきぞく)となると、基本的には臣籍降下した元親王の子孫(皇族)で皇統の血筋を持つ血族を指す。
帝の子(親王)は代々多数存在し世継ぎは皇太子(東宮)、その他は親王を称して次の帝となる事に備える。
だが、継ぎから外れた者は親王を称して皇族と成るが、帝の代が代われば序列が変わり王族(皇族)と成って「王」を名乗る。
しかし、そう何代も「王」を名乗っていつまでも「王族(皇族)」と言う訳には行かない。
だから臣籍降下(しんせきこうか)をする事に成るのだが、その時に賜姓(しせい/たまわりせい)をして「賜姓降下(しせいこうか)」をする慣わしがある。
平氏流(へいしりゅう)は桓武天皇(第五十代)の皇子「勝原(かつはら)親王」に端を発する高貴な血筋・高望王(たかもちおう)流の武家の一門で、臣籍降下で賜姓の「平氏」を賜った。
源氏流(げんじりゅう)は、皇室と祖を同じくすると言う名誉の意味を源(みなもと)姓に込めて、嵯峨天皇(第五十二代)が生まれた我が子らにその源(みなもと)姓を与えたに始まる。
中でも村上天皇から臣籍降下した村上源氏は、宗家筋が朝廷公家・堂上家(どうじょうけ)となって天皇に仕えた。
以後源氏は夫々(それぞれ)の祖と仰ぐ天皇の号をもって、仁明源氏、文徳源氏、清和源氏、宇多源氏などその氏族の称とし、下級貴族や武士として家名を繋いだ。
清和(せいわ)源氏流は、清和天皇(第五十六代)に端を発する、高貴な血筋を有する武門の一方の旗頭である。
その清和(せいわ)天皇の血筋として村上源氏、清和(嵯峨)源氏、清和(摂津)源氏、清和(河内)源氏、など、清和源氏だけで二十一流がある。
この後胤貴族(こういんきぞく)、一部が藤原氏に伍して堂上貴族として朝廷の中枢に残ったが、大半は時代が下がり代が替わるに従って地方役人が精々の身分で、ただの一氏族に成って行った。
詳しくは、小論【名字のルーツと氏姓(うじかばね)の歴史】を参照。
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