富士山・貞観大噴火(じょうがんだいふんか)
この噴火は、山頂から北西に約十キロメートル離れた斜面で発生した大規模な割れ目噴火で、長尾山他二~三のスコリア丘(単成火山)を形成し、膨大な量の溶岩を噴出させた。
噴出物の総量は約七億立方メートルにも及び、溶岩流は北西山麓を広く覆い尽くした末に、北麓にあった広大な湖・RWの海(せのうみ)の大半を埋没させた。
江戸時代中期の千七百七年(宝永四年)に起きた宝永大噴火(ほうえいだいふんか)と伴に、富士山の噴火災害の特異例として数え上げられ、文献記録に残る富士山噴火の内で最大規模とも言われている。
なお、、九世紀半ばまで日本の富士山北麓に在った湖でこの噴火で埋没した「RWの海(せのうみ)」の残片が現在の富士五湖の内の二つ、西湖と精進湖である。
また、富士山の北西に位置する青木ヶ原樹海は、この噴火の溶岩流の上に千二百年の時を経て再生した森林地帯である。
実はこの「貞観(じょうがん)の富士山大噴火」から五年後に、奥州三陸地方で貞観大地震(じょうがんだいじしん)が発生している。
この事から、日本列島の地殻活動期として火山噴火と大地震は何らかの繋がりが在りそうである。
貞観大噴火(じょうがんだいふんか)は、大和朝廷(日本の首都)が平城京から長岡京を経た末に平安京に落ち着いてちょうど七十年目にあたる年である。
朝廷では清和天皇の外祖父・藤原良房(ふじわらのよしふさ)が皇族以外で初の摂政に就任し、後の藤原北家繁栄の礎を築きつつあった。
良房は二年後の八百六十六年(貞観八年)、応天門の変に於いて大納言・伴善男(とも のよしお/大伴氏)を流罪に追い込み、その権勢を一層磐石とする。
【貞観大地震(じょうがんだいじしん)】に続く。
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