水揚げ・〔二〕芸妓の水揚げ
それはその戦後の占領下に於いて、当時のGHQ司令官から公娼制度廃止の要求がされた事に伴い昭和三十三年に施行された売春防止法(法律第118号)まで続いていたのである。
事例として芸妓を例にとると、御茶屋遊びの芸妓の養成を兼ねた舞妓(年少芸妓/芸妓見習い)は現在は中学卒業後だが、戦前は九歳から十二歳の少女までだった。
京・大阪で言う舞妓は、江戸など関東地域で言う「半玉(はんぎょく)」もしくは「おしゃく」に相当する。
同様に、京・大阪での呼び方は芸妓、江戸での呼び方は芸者なので区別する必要がある。
舞妓見習いは、半年からに年ほどの「仕込み」期間を経た後、一ヵ月間「見習い」としてだらりの帯の半分の長さの「半だらり」の帯を締め、姐さん芸妓と共に茶屋で修行する。その後に置屋の女将と茶屋組合よりの許しを得て舞妓となり、座敷や舞台に上がりながら九歳から十二歳の間は芸妓を目指して修行する。
少女である舞妓の衣装は振袖・下げ帯(だらり帯び)だが、現在では襟替(えりか)えの時期が二十歳前後の場合が多いが、第二次世界大戦直後までは十三歳から十四歳で芸妓と成った。
そして「正統派の芸妓・芸者は売春を行う事はない」と言われている。
だが、江戸時代以来、芸妓もその他の遊女と同様に前借金を抱えた年季奉公であり、第二次世界大戦終戦前の花街は人身売買や売春の温床となっていた。
芸妓の世界では、誰でも構わず身を売る事は「不見転(みずてん)」として建前戒められていた。
だが、第二次世界大戦後の売春防止法(法律第118号)まで、こうした不見転(みずてん)はほぼ何処の土地でも見られ、置屋も積極的にこれを勧める事が多く、俗に枕芸者と呼ばれた。
また現実には、芸妓も遊女同様に前借金を抱えた年季奉公で在った事から、自分の妻また妾にする為の旦那衆に拠る水揚げや身請け(落籍)は在った。
つまり建前とは別の本音の部分では芸妓の水揚げや身請け(落籍)は実在し、その時に旦那衆から支払われた金は、前借金を差し引いて余れば置き屋と芸妓親元の分け前になる。
現代では、戦後の児童福祉法と労働基準法の改正に伴い現在は中学卒業後でないと舞妓に成れない。
そして現代では、十九~二十歳に成らないと芸妓には成れない。
だが、第二次世界大戦後の昭和三十三年当時の習俗的認識では、襟替(えりか)えして芸妓と成れる十三歳から十四歳の女性は、既に性の対象だった事に成る。
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