元禄大地震(げんろくおおじしん)・大津波
震源は千葉県・房総半島南端の野島崎と推定され、東経139.8度、北緯34.7度の地点にあたる。
この元禄大地震(げんろくおおじしん)は、千九百二十三年(大正十二年)に起きた大正関東地震(関東大震災)と同タイプの海溝型地震で、その地震以前の関東地震に該当すると考えられている。
但し、この元禄大地震(げんろくおおじしん)の地殻変動は大正関東地震(関東大震災)よりも大きいもので在った。
大規模な地盤変動を伴い、震源地にあたる南房総では海底平面が隆起して段丘を形成した元禄段丘が分布し、野島岬は「沖合の小島から地続きの岬に変貌した」と言う。
相模灘沿いや房総半島南部で被害が大きく、相模国(神奈川県)の小田原城下では地震後に大火が発生し、小田原城の天守も焼失する壊滅的被害を及ぼした。
また、東海道の諸宿場でもこの元禄大地震(げんろくおおじしん)で家屋が多数倒壊した。
上総国を始め、関東全体で十二か所から出火、倒壊家屋約八千戸、死者約二千三百名、被災者約三万七千人と推定される。
この地震で三浦半島突端が約二メートル弱、房総半島突端が約三・五メートル隆起した。
また、震源地から離れた甲斐国東部の郡内地方や甲府城下町、信濃国松代でも被害が記録され、京都でも有感であった。
江戸市中よりも相模湾沿岸で家屋の倒壊が著しく、震度七と推定される地域も相模湾岸に集中した。
江戸での被害は比較的軽微で、江戸城諸門や番所、各藩の藩邸や長屋、町屋などでは建物倒壊による被害が出た。
平塚と品川で液状化現象が起こり、「朝起きたら一面泥水が溜っていた」などの記録がある。
この時も津波が発生し、房総半島から東京湾に掛けて巨大津波が襲い、「房総半島で七千人、相模湾から東京湾に掛けて一万五千人の津波犠牲者が出た」と言う甚大な被害を蒙った事が、多数の古文書や石碑等で今に伝えている。
江戸時代中期の元禄から宝永年間は、巨大地震が頻発した時期である。
延宝・房総沖地震(えんぽうぼうそうおきじしん)に始まり、二十六年後の元禄大地震(げんろくおおじしん)、その四年後の千七百七年(宝永四年)にはマグニチュードは八・四~八・七と推定される宝永地震と富士山の宝永大噴火も発生している。
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