永長地震(えいちょうじしん)
永長地震(えいちょうじしん)は平安時代後期に起きた南海トラフ沿いの巨大地震と推定される地震である。
この地震は嘉保年間に起きたが、この天変地異を期に約一ヶ月後の十二月十七日に「永長」に改元され、年表上では永長元年となる事から「永長」を冠して呼ばれる。
大規模に地殻変動した永長地震の推定マグニチュードは八~八・五 、皇居(京都)の大極殿に被害があり、東大寺の巨鐘が落下、近江国の勢田橋が落ちた。
白河天皇の第二皇子・堀河天皇の御世に起きたこの地震の津波により、駿河国で民家社寺四百余が流失する。
畿内、琵琶湖、及び揖斐川付近の強震動及び伊勢国・津や駿河国の甚大な津波被害から東海・東南海連動地震と推定され、この地震の二年二ヶ月後に「康和・南海地震」が発生した。
この康和・南海地震は承徳年間に発生したが、この天変地異やこの年の夏に流行した疫病を期に康和と改元され、年表上では康和元年に相当する事から「康和」を冠して呼ばれる。
元々、康和・南海地震は畿内付近の地震とされていたが、土佐の被害記録の発見により南海地震と推定される事になって永長地震(えいちょうじしん)との連動が考えられる事になる。
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