明応地震(めいおうじしん)
その僅か十一日後の千四百九十八年(明応七年九月二十日)、死者三万?四万人以上と推定される「明応地震(東海 東南海連動)」が発生する。
大規模な地殻変動で起こされた明応地震の推定マグニチュードは八・二~八・四、紀伊国から房総にかけてと甲斐国に大きな揺れがあり、鎌倉高徳院の大仏殿が押し流され、浜名湖が海と繋がった。
この明応地震が起きた時は、室町幕府管領家の細川勝元と山名持豊(出家して山名宗全)らの有力守護大名が争う戦乱・応仁の乱(おうにんのらん)の真っ最中だった。
震害よりむしろ津波の被害が大きく、伊勢国大湊で家屋千戸、溺死者五千人、伊勢国志摩で溺死者一万人、駿河国(静岡県)志太郡で溺死者二万六千人などの被害が記録されている。
地質調査によれば、ほぼ同時期に「南海地震も発生した」と考えられ、同じ年(千四百九十八年)十一日前の「日向灘地震がこれにあたる」との説もある。
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皇統と鵺の影人
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