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用明大王(ようめいおおきみ/天皇)

この古墳時代、まだ日本列島・大和朝廷大王(おおきみ大国主/おおくにぬし)は地方を領する有力豪族(御門・臣王・国主/くにぬし)達の勢力争いに翻弄され、利用される武力を持たない精神的な統一の象徴だった。

背景の争いがそんなだから、大王(おおきみ/天皇)後継者を巡る争いが繰り広げられる。

物部氏蘇我氏の争いは、敏達大王(びたつおおきみ/第三十代天皇)の御世に成っても、息子達の大連(おおむらじ)・物部守屋(もりや)と大臣(おおおみ)・蘇我馬子(うまこ)に引き継がれ、更に、敏達大王(びたつおおきみ/第三十代天皇)が崩御すると、次期天皇の「擁立合戦」に発展した。

物部守屋に加勢した中臣勝海(なかとみのかつみ)が蘇我馬子に暗殺され、馬子の推する「用明大王(ようめいおおきみ・天皇第三十一代)」が即位する。

用明大王(ようめいおおきみ/第三十一代天皇)は欽明大王(きんめいおおきみ/第二十九代天皇)の第四皇子で、母は大臣(おおおみ)・蘇我稲目(そがのいなめ)の娘・蘇我堅塩媛(そがのきたしひめ)である。

都は磐余池辺雙槻宮(いわれのいけのへのなみつきのみや)と伝えられ、その所在地は現在の奈良県桜井市阿部、或いは同市池之内などの説が在った。

しかし二千十一年に成って奈良県桜井市池尻町で、所在地が不明だった磐余池(いわれのいけ)と見られる池の堤跡が見つかり、その堤跡上で発見された大型建物跡が磐余池辺雙槻宮(いわれのいけのへのなみつきのみや)で在った可能性も出て来ている。

用明大王(ようめいおおきみ/第三十一代天皇)は敏達大王(びたつおおきみ/第三十代天皇)の崩御を受け即位する。

大連(おおむらじ)と大臣(おおおみ)は、物部守屋(もののべのもりや)と蘇我馬子(そがのうまこ)がそのまま引き継いで、物部氏と蘇我氏は二大勢力を築いていた。

この二大勢力の内、物部氏は物部神道を擁する廃仏派であり、蘇我氏は崇仏派として仏教を擁護、物部氏に対抗していた。

蘇我稲目の孫でもある用明大王(ようめいおおきみ/第三十一代天皇)は、廃仏派の敏達大王(びたつおおきみ/第三十代天皇)とは違って崇仏派であり仏法を重んじた。

一方、危機感を持った廃仏派の筆頭である物部守屋は、欽明大王(きんめいおおきみ/第二十九代天皇)の皇子の一人・穴穂部皇子(あなほべのみこ)と通じていた。

しかしながら、用明大王(ようめいおおきみ/第三十一代天皇)は疱瘡の為に在位二年足らずの五百八十七年(用明天皇二年)四月に崩御した。

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by mmcjiyodan | 2012-02-19 17:00  

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