法隆寺(ほうりゅうじ)
通説によれば、六百一年(推古天皇九年)、聖徳太子(しょうとくたいし)は斑鳩の地に斑鳩宮(いかるがのみや)を建て、この近くに建てられたのが「法隆寺である」とされ今に伝わっている。
とは言え、法隆寺(ほうりゅうじ)について「日本書紀」には六百七十年の火災の記事があるが、それは創建とされる六百七年からおよそ七十年後に当たる年の出来事で、創建そのものについては何も書かれていない。
その存在に疑惑が在る聖徳太子(しょうとくたいし)とゆかりが在るとされる法隆寺(ほうりゅうじ)が、太子がリアルタイムで創建に拘(かか)わったかどうかで、実在は証明される所だが今の所確たる物は無い。
ならば可能性としてだが、後世の聖徳太子(しょうとくたいし)捏造者が法隆寺(ほうりゅうじ)に目を着けて、または法隆寺(ほうりゅうじ)その物が太子創建を名乗り出た可能性も否定出来ない。
勿論、千四百年から経た世界最古の木造建築とされる西院伽藍を含むなど、法隆寺(ほうりゅうじ)は聖徳太子(しょうとくたいし)存在の真贋に関わり無く、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された文化遺産である。
「辻褄(つじつま)が合わない事を信じるのが信仰だ」と言ってしまえばそれまでだが、信仰の対象に成って居る「聖徳太子(しょうとくたいし)の超人的カリスマ性」は、後世の知恵である可能性が強い。
「超人的能力が在った」とカリスマ性が伝えられ信仰の対象となっている「聖徳太子は架空の存在だ」としながらも、「聖徳太子」のモデルとなった厩戸皇子(うまやどのみこ)と言う人物の存在と、その人物が斑鳩宮及び斑鳩寺を建てた事は史実と主張する歴史学者も居る。
但し厩戸皇子(うまやどのみこ)としては、当時「目立った働きが在った」と言う伝承も無く、推古天皇を太子として補佐した痕跡も無い。
益してや、厩戸皇子(うまやどのみこ)誕生の経緯が、イエスキリストの誕生シーンに如何にも酷似している所から、厩戸皇子(うまやどのみこ)の存在その物が後世の捏造である疑いもある。
詳しくは、小論【聖徳太子は実在したか?その疑惑を追う】を参照ください。
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皇統と鵺の影人
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