ヒマラヤ桜と染井吉野
アンナプルナ連峰の麓(ふもと)に在るガンドルン村はヒマラヤ桜の村である。
アンナプルナ連峰は、ヒマラヤ山脈の一郭でネパールの中央部に位置し、幅五十キロに及ぶ高さ七千五百~八千メートル級の連峰である。
サンクリット語でアンナプルナは「豊穣の女神」の意味で、恵みの水源と成って山麓の棚田を潤す。
そして明治維新前までおおらかだった日本の性慣習も、多くはネパール人の習慣に影響されている。
ネパールのヒンドゥー教は、シヴァ神の御神体・リンガ(男根神)を仰(あお)ぐ信仰で、人々は性交しているシヴァを女性器の内側から見ている形になっている。
つまり標高二千メートル地点に自生する「ヒマラヤ桜」も、「山麓の棚田」も、「村落の夜這い制度」も、遡って源流を辿ればネパールに在る。
ヒマラヤ桜が中国・雲南省の野生の冬桜を経由して、東の外(はず)れ日本列島まで水田稲作と伴に伝わった。
弘法大師(空海)が持ち帰った真言密教は、この桜の原種・ヒマラヤ桜と同様に中華帝国を経由して日本列島に伝わったネパールやブータン発祥の性文化そのものである。
だが「桜は日本を代表する花だ」と言う帰属意識的な想いから、その事を広言する歴史学者は少ない。
つまり歴史学者の多くが、定説に対する辻褄合わせの為に作為的に事実を見落とす愚を犯している。
日本人の心の原点とも言うべき山岳信仰の象徴が、奈良県吉野郡吉野町・吉野山の修験道・金峰山修験の本宗総本山・金峰山寺(きんぷせんじ)、そして圧巻は吉野全山三万本の桜である。
平安期から現在に至るまで、桜は神社仏閣の神木となった。
そして日本の春は満開の桜花とともに訪れる。
吉野山と桜の結びつきは古く、その原点は六百七十年頃の天智天皇の御世、修験道の開祖・役小角(えんのおずぬ)が大峰山で修行(千日難苦行)している時に金剛蔵王権現を感得して、桜の木に「その金剛蔵王権現のお姿を刻んだ事に始まる」と伝えられている。
これ以来、吉野山の桜の木は御神木として手厚く守られて来た。
つまり、桜の木は陰陽修験のシンボルでもあり、山岳信仰に端を発する日本の信仰の原点でもある。
日本の桜で、全国に一番植樹され、現在最も多い桜の木の品種は染井吉野である。
この染井吉野は、東京の染井村(東京都豊島区馬込)の植木屋が考案した接木(つぎき)による品種改良で誕生したそうである。
しかし欠点が在り、残念ながら接木方式の苗の為、成木の寿命が六十年ほどしか無いそうである。
芯に成る木と接木(つぎき)された染井吉野の関係で、六十年ほどすると幹の内側の芯に成る木から腐る欠点があり、外見は良いのだが中はスポンジ状に空洞化して行き、やがては表皮に空洞が達して折れてしまうそうである。
平成十七年の八月で、戦後も凡そ六十年を数えるようになる。
日本の桜は戦後の昭和二十年代に植樹された染井吉野が大半で、今後十年くらいでその寿命期に到達する。
こう言う話を聞くと、染井吉野は戦後の日本と共に生きた団塊の世代とその生き様(ザマ)が重なって見える。
染井吉野の空洞化と団塊の世代の高齢化・・・。
戦後日本の象徴は、世の移ろいと伴に衰えの時期を迎えつつあるのだ。
詳しくは、小論【桜と毛虫】を御参照下さい。
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皇統と鵺の影人
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