武士道の始まりと封建制(ほうけんせい)
元々「封建」の語は中国・周代の国家体制を指すもので、日本での「封建制」の語は、土地を媒介とした国王・領主・家臣の間の緩やかな主従関係に拠る支配形態を指す。
鎌倉幕府、室町幕府を含めて封建制の時代とされる方も居られるが、江戸期の幕藩体制以前の二幕府に厳密な支配地争いに対する中央の統制能力は無かった。
歴史的に観て、江戸期以前の武士は今日に考えられる精神思想などとは全く違う「武を持って支配地を広げるだけの争いの組織」だった。
武士の社会は、支配地の拡大を求めて主従関係の「合従連衡(がっしょうれんこう/結びついたり離れたりする)」や「下克上(げこくじょう/上下関係の身分秩序を侵す)」の世界だった。
つまり鎌倉幕府、室町幕府は、地方の支配地争いの結果を実行支配として認証する機関的な役割に過ぎない時期が多かった。
歴史的に観て、封建制とは近世の幕藩体制(江戸幕府)を指して用いられた歴史用語で、武士の思想が「道」と言う極みにまで達したのは、江戸期に入ってからである。
平安中期から江戸期開幕に到るまで、氏族武士の本質は領地利権の為に親兄弟でも戦で争う人種で、主君に対する下克上(げこくじょう)も当たり前だった。
そこに在った武士道は「強い者が勝つ」で、「主君に滅私奉公する」何て事は江戸期に入ってからの「幕府の統治政策」と「永く続き在った戦乱の反省」とが為した合意に過ぎない。
まぁ今の政治劇も「武士道の始まりと封建制(ほうけんせい)」時代と一緒だが、勝ち馬に乗りたい連中の駆け引きは今も昔も変わらない。
だから大戦(おおいくさ)と成る程、敵味方どちら付かずでギリギリまで決められない武将は幾らでも居た。
そんな姑息な現実を、建前でソッと包(くる)んだ綺麗事が武士道伝説だったのだ。
武士道伝説の綺麗事は歴史の難しい所で、例え統治の都合で捏造されたものでも、永く伝承されると「文化の歴史」として存在する様になる事である。
つまり「史実の歴史」とは別に「文化としての歴史」は、信仰や伝説を通じて時の経過と伴に育ち、後世では確実に文化として存在して「全く無い事」と否定出来ないのだ。
只、この「史実の歴史」と「文化の歴史」は、違いを認識しながら扱って行かねば成らない事は言うまでも無い。
詳しくは小論【国家の品格・武士道の国日本のまやかし】をお読み下さい。
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