広渡寺(こうどじ)・間宮正八幡宮(まみやしょうはちまんぐう)
この広渡寺(こうどじ)は、仏教の寺でありながら神社も併設されている。
この浄土宗・広渡寺(こうどじ)の神社併設の由来が、源頼朝の挙兵に関わる物語の一端を覗かせる逸話である。
源頼朝が源氏再興祈願の為に、毎夜「丑の中刻(午前2時頃)」に三島大社(三島明神)に詣でて居た。
為に頼朝は、仮の館が在った伊豆の国(いずのくに)・「蛭が小島」と「三島大社(三島明神)」の中間に在る広渡寺(こうどじ)で「時間合わせの為に仮眠休息した」と伝承される。
それにしても「丑の刻参り」とは・・・、頼朝の陰湿な執念を象徴するエピソードで在る事は間違いない。
その後平家を倒して鎌倉幕府を成立させた頼朝は、この祈願時に「世話に成った礼」として源氏の象徴である八幡神(八幡大菩薩)の神社を広渡寺に寄進した。
伝えられる「弓矢の守護神が夢 に出てきた」は後の創作だが、間宮・広渡寺(こうどじ)と頼朝の間にそれなりの縁が在った事は事実である。
頼朝は、この寄進した八幡神社に自らの尊像を彫刻して「間宮正八幡」と号して安置し、永く広渡寺の鎮守の神と崇め奉られている。
こうしたその時代(リアルタイム)に頼朝が残した建造物が存在する所から、流人中の源氏再興祈願は事実で挙兵の意志は在ったのだろう。
だが、その挙兵のタイミングが計画的だったのか、頼朝の妻・北条正子絡みの偶発だったかは定かではない。
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