富本銭(ふほんせん)
飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)を造営し、即位前の一年を加えその治世は十四年間、即位からは十三年間に渡る。
「日本書紀」の編纂を総裁した事で知られる舎人親王(とねりしんのう)は、天武大王(てんむおおきみ/第四十代天皇)の皇子である。
天武大王(てんむおおきみ/第四十代天皇)は、新たに日本書紀の編纂を開始させるなど改革者で、その御世に日本で始めて造られた通用銭が、富本銭(ふほんせん)である。
近年に成って、日本で始めて造られたと推定される銭貨が、銭貨・和同開珎(わどうかいちん、わどうかいほう)から銭貨・富本銭(ふほんせん)へ定説が変わった。
六百八十三年頃、天武大王(第四十代/天皇)の御世に日本で始めて造られたと推定される銭貨が富本銭(ふほんせん)である。
その日本最古の富本銭(ふほんせん)の立て書き富本の左右に、五角形様に配置された七つの丸い突起は星と解釈されて「富本七星銭」とも呼ばれ、「陰陽五行の五亡星を示している」とされている。
後の中務省・陰陽寮の設置にしろ、この富本銭(ふほんせん)の七星五亡星にしろ、いかに当時の統治手段に占術が活用されていたかが証明されている。
つまり天武大王(第四十代/天皇)の御世に於いて陰陽五行占術(陰陽修験道)が信じられ、統治と占術が一体化していた事が理解される根拠である。
既に朝廷(大王・おおきみ/天皇)の権威をあまねく列島の隅々まで知らしめる為の、陰陽修験者(修験導師)の民衆に対する啓蒙工作が進んで居たのだ。
そしてここら辺りが怪しいのだが、修験者の開祖「役小角(えんのおずぬ)」が現れたのは、この天武大王(おおきみ/天皇)の御世である。
大海人皇子が海人族であれば賀茂・葛城族とは同族で、天武大王(おおきみ/天皇)の皇位と権威の確立の為に、天武大王(おおきみ/天皇)直属の修験秘密警察が誕生した事も充分に考えられるのである。
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