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山口尚芳(やまぐちますか/なおよし)

佐賀藩から新政府の要職に登った山口尚芳(やまぐちますか)は、佐賀藩の本家では無く武雄領と呼ばれる佐賀藩内の自治領に生まれた。

佐賀藩武雄領は旧領主・龍造寺氏系が佐賀藩内で佐賀藩鍋島本家の親類として存続、武雄鍋島家(肥前武雄領・公称ニ万一千六百石・物成/実高八千六百四十石)と呼ばれる。

尚芳(ますか)は幼少の頃から佐賀藩武雄領主・鍋島茂義に将来性を見込まれていた為、その推挙に拠り佐賀藩主・鍋島閑叟(なべしまかんそう/直正)に紹介される。

その佐賀藩主・鍋島閑叟(なべしまかんそう/直正)の命により、尚芳(ますか)は他の藩士子弟らと伴に長崎に遊学し、オランダ語や蘭学を学んだ。

また、尚芳(ますか)は同藩の大隈重信副島種臣らと共に、当時ちょうど来日していたグイド・フルベッキに長崎英語伝習所で英語を学んでいる。

蘭学や英語を学んだ尚芳(ますか)は、佐賀藩帰藩後に翻訳方兼練兵掛として勤務する。

当時としては新鋭の洋学を学んだ尚芳(ますか)は、幕末の政治状況の中で薩摩藩長州藩の武士と交流し、薩長連合の成立にも尽力した。

また岩倉卿(具視)ら公家にも接近し、この時、岩倉具視との知故を得た事が、尚芳(ますか)の将来を決定着ける事になる。

大政奉還に拠る王政復古後、尚芳(ますか)は佐賀藩が仕立てた東征軍に従軍し、江戸開城に伴い薩摩藩の小松帯刀らと伴に江戸へ赴いた。

その後の山口尚芳(やまぐちますか/なおよし)だが、戊辰戦争(ぼしんせんそう)を制して旧幕府勢力を瓦解させた官軍が確立した明治新政府に於いてその地位を上げて行く。

千八百六十八年(明治元年)三月に外国事務局御用掛、四月に外国官、五月に大阪府判事試補、六月に越後府判事続いて東京府判事兼外国掛、十一月には外国官判事になると伴に箱館府在勤を命ぜられ、従五位下に叙せられる。

千八百六十九年(明治二年)一月、尚芳(ますか)は長崎に出向きフルベッキに対し東京に新たに大学を作る為招聘する旨伝え、フルベッキはこれを受諾する。

四月に外国官判事兼東京府判事となり通商司総括を命じられ、五月、会計官判事を命ぜられ、六月には会計官判事をもって大阪府在勤を命ぜられる。

七月、尚芳(ますか)は大蔵大輔と民部大輔を兼務した同郷の大隈重信を補佐して、大蔵大丞兼民部大丞となる。

千八百七十年(明治三年)五月、北海道開拓御用掛を命ぜられ、千八百七十一年(明治四年)八月には外務少輔に転じた。

同年(明治三年)十月、従四位に叙された上で、米欧の視察および条約改正の下準備として岩倉具視を全権大使とした岩倉使節団(いわくらしせつだん/岩倉遣欧使節団)が派遣される。

尚芳(ますか)は岩倉遣欧使節団の団員となり、大久保利通木戸孝允伊藤博文と並ぶ副使に任命されて、千八百七十三年(明治六年)九月まで、各国を歴訪した。留守居政府が進めていた征韓論に対し、帰国後に起きた論争に於いては大久保・木戸らとともに遣韓使節反対の立場を取る。

この為尚芳(ますか)は、千八百七十四年(明治七年)ニ月に征韓論を唱えた江藤新平らが起こした佐賀の乱(さがのらん)に於いては、政府軍の側に立って鎮圧に尽力した。

まず、故郷・武雄の元領主・鍋島茂昌(しげはる)やその家臣で在った士族を説諭し、反乱への呼応を抑止した。

また、自らは、二月十二日、長崎に入り、海軍警備兵を率いて大村、武雄を経て三月一日に佐賀に入城、乱の鎮圧に当たった。

なお、佐賀の乱の際、武雄鍋島の茂昌は反乱軍の脅迫に屈し六十四人の兵士をやむなく乱に派遣していた為問題となった。

だが、尚芳(ますか)は、旧主筋にあたる鍋島茂昌が新政府軍に提出する予定の謝罪文を添削するなど武雄鍋島の罪を免ずる為に努力している。

尚芳(ますか)は、新政府に於いて元老院議官、元老院幹事、会社並組合条例審査総裁、会計検査院の初代院長などを歴任する。

しかしながら、大隈重信が新政府から追放された千八百八十一年の「明治十四年の政変」の影響で、尚芳(ますか)は同年十月に会計検査院長の職を辞し、参事院(内閣法制局の前身)の議官となり外務部長兼軍事部長に任ぜられる。

千八百八十二年(明治十五年)以降に参事院が廃された結果、尚芳(ますか)は元老院議官に復帰する。
尚芳(ますか)は高等法院陪席裁判官、貴族院議員を歴任、千八百九十四年(明治二十七年)病床に在って正三位に叙され、翌月六月十二日死去した。

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by mmcjiyodan | 2012-07-22 17:11  

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