ノモンハン事件(ノモンハンじけん)
この国境紛争事件には、満州国軍とモンゴル人民共和国軍の参加もあったが、実質的には両国の後ろ盾となった大日本帝国陸軍とソビエト労農赤軍の主力の衝突が勝敗の帰趨を決した。
当時の大日本帝国とソビエト連邦の公式的見方では、この衝突は一国境紛争に過ぎないというものであったが、モンゴル国のみは、人民共和国時代よりこの衝突を「戦争」と称している。
そしてノモンハン事件を「戦争」と表現するほどの大規模な武力衝突とするなら、日本政府は国民にひた隠しにしていたが、実は明治維新以降の戦闘として日本軍が始めて大敗を喫した一戦だった。
ノモンハンの呼称だが、清朝が千七百三十四年に外蒙古(イルデン・ジャサク旗・エルヘムセグ・ジャサク旗)と、内蒙古(新バルガ旗)との境界上に設置したオボーの一つ「ノモンハン・ブルド・オボー」に由来する。
このオボーは現在もモンゴル国のドルノド・アイマクと中国内モンゴル自治区北部のフルンブイル市との境界上に現存し、大興安嶺の西側モンゴル高原、フルンブイル市の中心都部ハイラル区の南方、ハルハ河東方に在る。
清朝が定めたハルハ東端部(外蒙古)とホロンバイル草原南部の新バルガ(内蒙古)との境界は、モンゴルの千九百十三年の独立宣言以後も、モンゴルと中国の歴代政権の間で踏襲されて来た。
しかし千九百三十二年に成立した満洲国は、ホロンバイルの南方境界について、従来の境界から十~二十キロほど南方に位置するハルハ河を新たな境界として主張、以後この地は国境紛争の係争地となった。
千九百三十九年(昭和十四年)にこの係争地で起きた両国の国境警備隊の交戦をきっかけに、日本軍とソ連軍がそれぞれ兵力を派遣し、交戦後にさらに兵力を増派して、大規模な戦闘に発展した。
ノモンハン事件には五月の第一次ノモンハン事件と七月から八月の第二次ノモンハン事件に分かれ、第二次でさらに局面の変転がある。
第一次ノモンハン事件は両軍合わせて三千五百人程度規模の戦闘で、日本軍が敗北した。第二次ノモンハン事件では、日本とソ連の両国それぞれが紛争にしては規模が大きい数万の軍隊を投入した。
七月一日から日本軍はハルハ川西岸への越境渡河攻撃と東岸での戦車攻撃を実施したが、いずれも撃退される。
この後、日本軍は十二日まで夜襲の連続で東岸のソ連軍陣地に食い入ったが、良い結果を得られず断念する。
七月二十三日に到って、日本軍が再興した総攻撃は三日間で挫折した。
その後戦線は膠着したが、八月二十日にソ連軍が攻撃を開始して日本軍を包囲し、三十一日に日本軍をソ連が主張する国境線内から後退させた。
一方、ハンダガヤ付近では、日本軍が八月末から攻撃に出て、九月八日と九月九日にモンゴル軍の騎兵部隊に夜襲をかけて敗走させた。
九月十六日の停戦時に、ハルハ川右岸の係争地の内ノモンハン付近はソ連側が占めたが、ハンダガヤ付近は日本軍が占めていた。
停戦交渉はソ連軍の八月攻勢の最中に行われ、九月十六日に停戦協定が結ばれた。
いずれにしても対ソ連軍との戦闘は救い様が無い大敗で、植田謙吉・関東軍司令官は責任を問われ辞職した。
また、この事件の実質的な責任者である関東軍の作戦参謀の多くは、転勤を命ぜられたが、その後中央部の要職に就き、対英米戦の主張者となった。
戦後の或る時期まで張鼓峰事件・ノモンハン事件は「日本陸軍の一方的敗北で在った」と考えられていた。
しかしソ連崩壊により明らかになった文書に拠ると、両戦闘に於けるソ連側の損害が実は日本側を上回っていた事実が分かった。
これにより特にノモンハン事件に関しては現在再評価が進んでいるが、戦時の勝敗は損害の高だけではなく戦闘当事者の勝敗実感も影響されるものである。
その当事者の勝敗実感で、明らかに関東軍は大敗と感じていた。
歴史的な事例を見れば、百人の包囲軍に千人が降伏する事もあるのだから、現地も本国も「敗戦」と考えた戦闘を、後で調べたら「相手の損害の方が大きいので勝だった」など、もはや笑止噴飯ものの飽きれた論理である。
いずれにしても軍部も政府も敗戦と認識して居ながら、都合の悪い事は国民に隠す隠蔽体質(いんぺいたいしつ)は、変わらないのが為政者体質である。
関連小論・【張作霖爆殺事件・柳条湖事件の陰謀】を参照下さい。
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