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河尻秀隆(かわじりひでたか)

織田信長軍団の甲州征伐に於いて、信長嫡男・信忠を補佐して活躍した武将に、河尻秀隆(かわじりひでたか)がいた。

河尻秀隆(かわじりひでたか)は、羽柴秀吉明智光秀の様に異能の手勢軍団を束ねる魅力は無かったが、織田信長が誰よりも信頼した絶対的腹心である。

河尻氏には醍醐源氏の一派である肥後国河尻氏があるが、美濃国出身の土豪の一族である秀隆(ひでたか)の河尻氏との関係は不明で、美濃河尻氏の出自は遡れない。

秀隆(ひでたか)及び河尻氏に関係する文書は少なく、「信長公記」や「甲陽軍鑑」の一部にある秀隆(ひでたか)の記述からその動向を知るのみである。

また、織田大和守家(清洲織田氏)の家臣に河尻姓の人物(河尻与一)が見られるが、秀隆との関係は不明である。

秀隆(ひでたか)は当初、信長の織田家が家老を務めていた主筋にあたる織田大和守(清洲織田氏)・織田信武に仕えた。

その後の千五百四十八年(天文十七年)、信長の父・織田信秀に仕えて第二次小豆坂の戦いに参加している。

信秀没後の秀隆(ひでたか)は、そのまま家督相続した織田信長にも仕え、黒母衣衆の筆頭を務める。

土田御前(どたごぜん)が弟・織田信勝(信行)の後押しをした為に起こった信長と弟・信勝(信行)との織田家家督相続の混乱では、秀隆(ひでたか)は信長方に付き勝利に貢献している。

千五百五十八年(永禄元年)、家督相続の混乱終結の為に信勝(信行)を清洲城へ呼び寄せ謀殺した時には、秀隆(ひでたか)が信勝(信行)の殺害を実行した。

信長の家督相続が確定した後、黒母衣衆の筆頭として秀隆(ひでたか)は桶狭間の戦いをはじめ、美濃国や伊勢国の攻略などに従軍する。

千五百七十二年(元亀三年)一月、美濃・岩村城の城主であり信長の縁戚である遠山景任(信長の叔母・おつやが景任の正室)が子供が無いまま病死した。

遠山家存続の為に信長は、織田信広、秀隆(ひでたか)らを派遣し、五男の坊丸(織田勝長)を遠山家の養子に据える。

しかし秀隆(ひでたか)達が引き揚げた十ヵ月後に武田信玄の西上作戦に伴い秋山信友の攻撃を受け岩村城の戦いが起こる。

この知らせを受け、信広、秀隆(ひでたか)らは再び援軍として派遣されるも信友の前に敗北を喫し岩村城の救助に失敗する。

岩村城は事実上の城主で在った信長の叔母・景任正室のおつやの方が秋山信友の求婚により開城し、坊丸は人質として甲斐に送られた。

千五百七十四年(天正二年)、秀隆(ひでたか)は前年元服を終えた信長の嫡男・織田信忠の補佐役となり、武田勝頼に対する最前線・鶴ヶ城(美濃国瑞浪市)の守備を任せられる。

千五百七十五年(天正三年)五月長篠の戦いにも秀隆(ひでたか)は信長嫡男・信忠を補佐して参陣し、信忠に代わって信忠軍の指揮を執った。

同年十一月、信忠軍が岩村城を落城させた際には、秀隆(ひでたか)は信長の命令に従い、投降した城兵を処刑し、捕らえた秋山信友とおつやの方を美濃に送っている。

岩村城攻略に成功した秀隆(ひでたか)は翌月、信忠軍団随一の功労者として、岩村城五万石を与えられた。

千五百八十二年(天正十年)二月から始めた甲州征伐に於いても、秀隆(ひでたか)は大いに活躍し信忠軍団はほぼ甲州を制圧する。

その功績により、秀隆(ひでたか)は三月に信長から河内領を除く甲斐国二十二万石と信濃諏訪領を与えられ甲斐府中城(甲府城)城主も務め始めた。

所が、六月に「本能寺の変」が起り秀隆(ひでたか)の甲斐統治は僅かな期間と成る。

京都で、主君・信長が明智光秀に襲撃されて自害する「本能寺の変」が起こると、旧武田領の各地で武田遺臣による国人一揆が起こる。

同僚の森長可(もりながよし)・毛利長秀(もうりながひで)が旧武田領の領地を放棄し美濃へ帰還する中、秀隆(ひでたか)は甲斐国に留まる。

この甲斐国人一揆に乗じて、三河・遠近江・駿河を領していた徳川家康が甲斐に野心を抱き、秀隆(ひでたか)を美濃に帰そうと本多信俊を使者として送るが、秀隆(ひでたか)はこれに応じず使者・信俊を殺害した。

しかし、その後発生した大規模一揆に抗し切れず、秀隆(ひでたか)は甲斐国からの脱出を試みるも、岩窪に於いて武田遺臣の三井弥一郎に殺害され、秀隆(ひでたか)の甲斐国経営の夢は消えた。

★主な安土桃山時代の大名家・代表的当主など一覧は【安土桃山時代(あづちももやまじだい)】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2012-11-12 22:30  

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