二世権現・徳川家光の謎
つまり、三代将軍・徳川家光の古文書には何故か二世権現や二世様などと記された文章が多数存在する。
問題なのは三代目を二世と称する奇妙な事で、何しろこれは天下の将軍家の血筋に関わる記述である。
もしそれが事実と異なる事なら、これは本来、書いた者が厳しいお咎めを受けても不思議は無い大変な記述である。
三代を二世とするからには、二代将軍・秀忠がイレギラーの存在で在る事を暗示させ、故に三代将軍・徳川家光が「家康と春日局の子で在る」と言う説が散見される。
いずれにしても三代将軍・徳川家光を二世と数え書き記すは、いったい何を意味しているのだろうか?
三代将軍・家光を二世と数えるのであれば、権現としての二代将軍・徳川秀忠の存在は一つ飛ばされている事になる。
つまりこの事は、二代将軍・秀忠の正体が養子であり「明智光忠である」と言う話にも信憑性が出て来る。
そしてこの事が事実であれば、春日局(かすがのつぼね)が駿府まで出向いて家康に家光を将軍に推させた事に納得が行く。
徳川家光と徳川忠長(とくがわただなが)は将軍世襲で微妙な状態にあり、実は保科正之(ほしなまさゆき)だけが二代将軍・秀忠の実子と言う事かも知れない。
つまり家光が二世権現や二世様と表記されるのは、家光が家康の「孫では無く子だからだ」と言うのだ。
だが、家光の二世権現や二世様の数え方について、もし家光の父・秀忠が家康の実子でなければ秀忠を初代、家光を二代と数える古文書の存在に別の筋で説明が着く。
詳しくは、小論【明智光秀=天海僧正説を検証する】を参照下さい。
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