性交は「愛」が条件か?
しかし出遭った瞬間の恋でも性交をする事が出来るのだから、「愛が無ければ性交など出来ない」は綺麗事である。
厄介な事に、人間の思考には「理性」と「感性」の二つの発想が混在し、そして「感性の領域」では、観念を基とする幻想があたかも現実のごとく幅を利かせている。
つまり、「愛が無ければ性交など出来ない」は、本来に比して現実離れした「空想的感性」の理想を、夢に浸(ひた)って言っているだけの「偽善」に過ぎないのである。
そして本来、「理性」で考えれば「愛」は永い時間をかけて互いが育むものだから、見合いにしろ恋愛にしろ順序からすれば「愛」より性交が先である。
そして敢(あ)えて言えば、過っての日本ではつい百年前まで、親同士が勝手に決めた婚姻で「新婚初夜まで顔さえ見た事が無かった。」なんて事も多々在った。
これは「恋」でさえない当時の習俗で、ある種夫婦ペア成立の、コミュニケーション(付合い)目的の初夜の行為だったが、これも「愛」が条件の性交ではない。
従って「愛」が性交の条件ではない事に成り、男女の仲に「愛」が無くても本能で性交は可能である。
生き物本来の性交目的は「子創り(繁殖)」である。
だが、人間の場合それより圧倒的に多いのがコミュニケーション(付合い)目的の性交であり、その本質は快楽目的の性交「疑似生殖行為」である。
種の保存を目的としない「疑似生殖行為」が快楽目的であるのなら、それは本能的本質以外の何物でもない。
大体に於いて、人間は性欲が強いと「嫌らしい」とか「スケベ」と非難されるが、言わせて貰えば子孫を残すのは本能だから、性欲がなければむしろその方が異常である。
つまり男女伴に、性欲が在って当たり前が正常な本能だからこそ、自然にペアが成立して性交をする。
そして元々初期の人類は、種の保存をヘッジ(リスク回避)する為に適した相手に巡り合う為の「群れ婚」で、その本能が潜(ひそ)んでいる。
勿論、「だから」と言って、現代の社会ルールを破りながら「本能だから仕方が無い」と言う言い分は成り立たない。
ロジック(論理)的には、「他人の家庭を壊さない」などの、社会性に反しない程度での性欲処理の利口な対処の問題で、「現実を否定すれば解決する」と言う幼稚な問題ではない。
性に関する事だけで無く、学校での虐(いじ)め問題などもそうだが、無い事にしてしまうとそれで終わりで対処を考えない。
だから不都合な事実でも、その存在を現実と認めた上で対策を考えるのが最も人間らしい問題解決の筋である。
つまりその辺りの「機微(微妙な心の動きや物事の趣)」を、上手く消化していたのが、長期に存在した村落共同体の「村社会の夜這いや寝宿制度」だった。
詳しくは小論【私の愛した日本の性文化】に飛ぶ。
◆世界に誇るべき、二千年に及ぶ日本の農・魚民の性文化(共生村社会/きょうせいむらしゃかい)の【「共生主義」】は、地球を救う平和の知恵である。
◆【類人猿・ボノボ こそ、争いを回避する知恵の原点】
◆【性文化史関係一覧リスト】をご利用下さい。
★更に、「愛」とは全く繋がらない職業としての性交、【遊女(女郎)の歴史】も御参照下さい。
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by mmcjiyodan | 2012-12-11 01:25