佐藤信寛(さとうのぶひろ)
信寛(のぶひろ)は、江戸時代後期の長州藩士で佐藤家第十代当主で、子孫には首相を務めた岸信介・佐藤栄作兄弟(曾孫)及び安倍晋三がいる。
岸、佐藤、両首相経験者の曾父・佐藤信寛(さとうのぶひろ)は、山口県熊毛郡田布施町に長州藩士・佐藤源右衛門の嫡男として生まれている。
信寛(のぶひろ)は藩校・明倫館にて山県太華に学び、江戸に出て清水赤城に長沼流兵学を修める。
信寛(のぶひろ)の師・清水赤城は吉田松陰に兵要禄を授けて居る為、学問的には松蔭の恩師筋の先輩にあたり深い親交が在った。
明治の初め、信寛(のぶひろ)は長州閥の一人として新政府に任官し、浜田県権知事、島根県令等を務め、県令として萩の乱の首謀者・前原一誠(まえばらいっせい)らを逮捕する活躍をしている。
千八百七十六年(明治九年)十一月、前原一誠・奥平謙輔(おくだいらけんすけ)ら萩の乱幹部七名が敗走し、東京へ向かうべく船舶に乗船し、萩港を出港する。
その船が、悪天候の為に島根県の宇竜港(現在の出雲市内にあった)に停泊中、十一月月五日に島根県令・佐藤信寛(さとうのぶひろ)らに逮捕された。
千八百七十八年(明治十一年)頃に信寛(のぶひろ)は官を退き、熊毛郡麻郷村戎ヶ下(えびすがした/現・田布施町戎ヶ下)に居を定め、余生を風月と共に送った。
信寛(のぶひろ)は官職を退任後、戎ヶ下(えびすがした)の別荘に起居し、蝦洲(えびす)と号した。
信寛(のぶひろ)の別荘には和宮親子内親王と婚約していた事で知られる有栖川宮(ありすがわのみや)・熾仁親王(たるひとしんのう)や明治の元勲・伊藤博文(いとうひろぶみ)らが立ち寄ったと伝えられる。
尚、熾仁親王(たるひとしんのう)は、明治新政府の成立に至るまで、公家社会に於いて三条実美(さんじょうさねとみ)とならぶ長州系過激攘夷派の急先鋒として認識されていた。
こうした権力の裏側を勘繰れば、維新政府の有力者に南朝大室家の地元有力者が抜擢されて新政府の要職に就き、後に「伊藤・佐藤・岸・安倍と、何名もの首相や首相候補を輩出したのではないか」と、疑えるのである。
☆関連小説
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by mmcjiyodan | 2012-12-15 00:13