秋月の乱(あきずきのらん)
熊本県で起こった「神風連の乱」に呼応して、三日後の十月二十七日、旧秋月藩の士族・宮崎車之助、磯淳、戸原安浦、磯平八、戸波半九郎、宮崎哲之助、土岐清、益田静方、今村百八郎ら約四百名によって起こされた反乱だった。
秩禄処分や廃刀令など、旧体制の利権を奪われた士族(旧武士階級)の不満は、専業軍人(武士)だっただけに、国家の根幹に関わる重大懸念だった。
今村百八郎を隊長とする「秋月党」が挙兵、まず明元寺で説得にあたった福岡県警察官・穂波半太郎を殺害する。
旧秋月藩の反乱士族は、あらかじめ旧豊津藩の士族・杉生十郎らと同時決起を約していた為、穂波殺害の後に豊津へと向かい二日後の二十九日に到着する。
しかし秋月の反乱士族が到着した時、旧豊津藩士族は決起しない方針を固め、意を通じていた杉生らは監禁されて居た。
談判中、豊津側の連絡を受けて到着した乃木希典率いる歩兵第十四連隊第一大隊二個中隊、同第三大隊二個中隊の凡(およ)そ六百名余りの小倉鎮台兵が秋月党を攻撃する。
秋月側は死者十七名を出し(政府軍の死者二名)江川村栗河内(現・朝倉市大字江川字栗河内)へ退却、二日後の三十一日に秋月党は解散し、磯、宮崎、土岐ら七名は自刃した。
抗戦派の今村は他二十六名とともに秋月へ戻り、秋月小学校に置かれていた秋月党討伐本部を襲撃する。
この襲撃で県高官二名を殺害、反乱に加わった士族を拘留していた酒屋倉庫を焼き払った後、各自分かれて逃亡するも翌十一月二十四日までに全員逮捕された。
なお反乱士族の一人益田は、挙兵前の十月二十六日に旧佐賀藩士族の同時決起を求める為佐賀へ向かったが、その帰りに逮捕されている。
首謀者とされた今村と益田は十二月三日に開かれた福岡臨時裁判所の判決で即日斬首され、約百五十名に懲役、除族などの懲罰が下されている。
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