軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)と戦陣訓(せんじんくん)
軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)は、正式には「陸海軍軍人に賜(たま)はりたる敕諭」と言い、明治天皇が陸海軍の軍人に下賜した勅諭(訓示)とされる。
「軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)」は、啓蒙思想家・西周(にしあまね)が起草、有識者・福地源一郎・官僚政治家、官僚政治家・井上毅(いのうえこわし)、軍人政治家・山縣有朋によって加筆修正され、千八百八十二年年(明治十五年)一月四日に発効される。
この「軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)」は、千八百七十八年(明治十一年)十月に陸軍卿・山縣有朋が全陸軍将兵に印刷配布した「軍人訓誡」が元になっている。
当時、多発した士族の反乱と自由民権運動などの社会情勢により、設立間もない軍部に動揺が広がっていた為に、これを抑(おさ)え精神的支柱を確立する意図で起草されたものである。
「戦陣訓(せんじんくん)」は、太平洋戦争(第二次世界大戦)中の軍人規律の規範を示して士気を維持する目的の訓令だった。
千九百四十一年(昭和十六年)一月八日に当時の陸軍大臣・東條英機が示達した訓令(陸訓一号)が「戦陣訓(せんじんくん)」で、軍人としてとるべき行動規範を示した文書である。
現在ではこの「戦陣訓(せんじんくん)」の中の「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」と言う一節が有名であり、軍人・民間人の死亡の一因となったか否かが議論されている。
その後の千九百四十五年(昭和二十年)八月十五日の終戦により、日本軍そのものが解体後廃止される。
千九百四十八年(昭和二十三年)六月十九日、教育勅語などと共に、衆議院の「教育勅語等排除に関する決議」及び参議院の「教育勅語等の失効確認に関する決議」によって、軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)の失効が確認された。
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