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万延元年・遣米使節(まんえんがんねん・けんべいしせつ)〔二〕

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千八百六十年(安政七年一月十八日/西暦二月九日)、使節団一行は品川沖でポーハタン号に乗船、横浜に四日停泊した後、一月二十二日/西暦二月十三日、サンフランシスコに向け出港した。

途中激しい嵐に遭遇して石炭を使い過ぎ、千八百六十年(安政七年二月十三日/西暦三月四日)補給の為にホノルルに寄港している。

この日付けに関して、実はホノルル到着の二日前に既に日付変更線を通過しているが、一行の多くは日付の調整を行っていない為、日記の日付が実際の日付と一致しない。

使節団一行は、ハワイ滞在中にハワイ王国国王・カメハメハ四世に拝謁している。

千八百六十年(安政七年二月二十六日/西暦三月十七日)ホノルルを出港、三月八日(西暦三月二十八日)にサンフランシスコに到着した。

三月十一日(西暦三月三十一日)には、サンフランシスコ市長主催の歓迎式が行われている。


一方、随行船・咸臨丸も嵐に遭遇し、軍艦奉行・木村喜毅の予想通り外洋航行に不慣れな日本人乗員は使いものにならなかった。

だが、ブルック以下米国人乗組員と操船技術に長けた塩飽水夫のの働きにより、ポーハタン号より十日早い二月二十七日(西暦三月十八日)に咸臨丸はサンフランシスコに到着していた。

ポーハタン号の到着により咸臨丸の随行任務は完了したが、咸臨丸の損傷が酷く修理の必要があった。

修理の為サンフランシスコに留まる間、勝海舟(かつかいしゅう)福沢諭吉(ふくざわゆきち)等咸臨丸の乗員らは現地の人々との交流も行っている。

諭吉は写真館に出掛け、アメリカ人の少女と一緒に写真に写り、また、英和辞典を作成する為に福沢と中浜万次郎(ジョン万次郎)はウェブスターの英中辞典を買い求めている。

咸臨丸はワシントンへ向う正使一行と別れ、千八百六十年(安政七年閏三月十九日)に米国人乗員を雇ってサンフランシスコを出発、ホノルルを経て安政七年五月五日に浦賀へと帰還した。


使節団正使一行の方は、サンフランシスコに九日滞在し、万延元年三月十七日(西暦四月七日)、パナマへ向かって出港した。

千八百六十年(万延元年閏三月四日/西暦四月二十四日)、正使一行はパナマに到着。

しかしこの時、パナマ運河はまだ完成していなかった為、一行はパナマ地峡鉄道が特別に用意した汽車で大西洋側のアスピンウォール(現在のコロン)へと移動した。

汽車は途中小休止をはさみつつも三時間でパナマ地峡を横断し、一行は大西洋に到達し、使節団の到着を待っていたロアノーク号に乗り換えた。

アスペンウォールを千八百六十年(万延元年閏三月六日/西暦四月二十六日)に出港し、ワシントンには閏三月二十五日(西暦五月十五日)に到着した。

翌閏三月二十六日(西暦五月十六日)に、一行はカス国務長官を訪問し、二十七日(西暦五月十七日)にブキャナン大統領に謁見・批准書を渡した。

五日後の四月二日(西暦五月二十二日)批准書は交換され、使節団最大の任務は完了した。

ワシントンには二十五日間滞在するが、その間にスミソニアン博物館、国会議事堂、ワシントン海軍工廠、アメリカ海軍天文台を訪れるなど、休む間もない日々を過ごしている。

ワシントン滞在中の四月十六日(西暦六月五日)には再び大統領に謁見、またこの前後複数回に渡り、小栗忠順(おぐりただまさ)に依る金銀貨幣の交渉が行われている。

米国側は小栗の主張の正当性は理解したものの合意には至らなかったが、小栗はこの交渉の過程でタフ・ネゴシエイターとして日本人の評価を上げた。

使節団一行は四月十九日(西暦六月九日)に、ボルチモア経由でフィラデルフィアに向けてワシントンを出発、翌二十日(日付け変更のため西暦では六月九日)に到着している。

フィラデルフィアには六日間滞在し、造幣局を見学し、日米金貨の分析実験や金銀貨幣の交渉も引き続き行っている。

四月二十七日(西暦六月十六日)午前にフィラデルフィアを出発、同日午後にはニューヨークに到着した。

ニューヨークでは空前と言われる大歓迎を受け、十三日日間滞在し、五月十二日(西暦六月二十九日)、ナイアガラ号で帰国の途についた。

帰国の為ニューヨークを出発した一行は、途中サン・ヴィセンテ島ポルト・グランデ(現カーボベルデ)、ルアンダ(アンゴラ)を経由し、七月十一日(西暦八月二十七日)には喜望峰を通過しインド洋に入った。

バタヴィア(現ジャカルタ)、香港を経由し九月二十七日(西暦十一月九日)に品川沖着、翌日下船し使節団は帰国を果たした。

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by mmcjiyodan | 2013-03-07 09:50  

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