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大正ロマンと新女性列伝(二)

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作家・谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)は耽美主義の一派とされ、過剰なほどの女性愛やマゾヒズムなどのスキャンダラスな文脈で語られる事も少なくない。

潤一郎はその作品で情痴や時代風俗などのテーマを扱うも、その芸術性は世評高く、「文豪」と評価される。

千九百十五年(大正四年)、気鋭の作家・谷崎潤一郎は石川千代と結婚する。

結婚後潤一郎は、妻・千代に横恋慕した友人である佐藤春夫(さとうはるお/詩人・作家)に千代を譲る約束をする。

情痴や時代風俗などをテーマとして扱う潤一郎の作品には、「必ずモデルに成る事象が存在する」とされる。

つまり佐藤春夫(さとうはるお)が千代に惚れたのも、潤一郎が意図して「二人に関係を持たせた」と言う噂も在る。

実はこの潤一郎の企てには、潤一郎が千代の妹・せい子に惚れ、妻・千代を春夫(はるお)に押し付けて自分は新たにせい子と婚姻を謀る積りが在った。

しかしこの企ては、せい子に拒絶されて頓挫した。

潤一郎の画策で、春夫(はるお)の愛を受け入れた千代は、段々と以前に無い妖しげな魅力が出て来るようになり、潤一郎は春夫に千代を手放すのが惜しくなる。

千九百二十一年(大正十年)、潤一郎は妻・千代を佐藤春夫(詩人・作家)に譲ると言う前言を翻し反故にした為、春夫(はるお)と絶交する「小田原事件」を起こす。

千九百二十七年(昭和二年)、潤一郎は後に三度目の結婚相手となる根津松子と知り合う。

潤一郎は佐藤春夫(さとうはるお)と和解するも、またも妻・千代を、内弟子・和田六郎(後の大坪砂男/探偵作家)に譲る話が出るも、佐藤春夫の反対で話は壊れている。

この内弟子・和田六郎と潤一郎の妻・千代には肉体関係が出来ていたのだが、それは「潤一郎が仕向けたものだ」と言われている。

潤一郎は千代に六郎との関係を認めるかたわら、千代から六郎との恋の成行を詳細に報告させ、千代は「六郎の子を妊娠・堕胎した事も在った」と言う。

小説の著作には作家自身や家族の体験を加工したものが多く、「潤一郎の作品にはモデルが在る」と言われている。

だから潤一郎をとりまく男女の出来事は格好の題材であり、マスメディアに取り上げられれば出版の前宣伝にもなる。

勿論、千代と佐藤春夫(さとうはるお)との情交も潤一郎が画策したシュール(非日常)なシュチエーションを狙った物で、逐一その顛末を千代に報告させていた。

夫婦の間の事など他人には到底理解出来ない事で、千代は潤一郎作品の題材創りと話題作りに協力していたのかも知れない。

因(ちな)みに、夫に勧められて他人と性交する妻は貞淑なのか淫乱なのか、判断が分かれるところではないか?


千九百三十年(昭和五年)に潤一郎と千代の離婚成立後、千代の佐藤春夫(さとうはるお)との再嫁の旨の挨拶状を三人連名で知人に送る。

この挨拶状が有名になり、「細君譲渡事件」として新聞などでも報道されてセンセーショナルな反響を呼び起こした。

夫からその友人に譲られた「千代夫人も幸せ」と言う、なんとも言えない作家達の愛の形である。


それは夫婦の性癖だって、相性が良い方が理想である。

性豪として、その道に研究熱心な潤一郎に仕込まれたからなのか、千代は従順の上に必死で奉仕する性癖の、言わば男性が抱いて愉しめるタイプの女性だった。

そして内弟子・和田六郎との経緯(いきさつ)を知りながら、それでも春夫(はるお)が千代に惚れ、「自分の嫁に」と望んだのには、「自分が千代の性を育てた」と言う拘(こだわ)りが在った。

潤一郎が仕掛けた事ではあるが、春夫(はるお)が千代を抱く都度に段々と妖しげな魅力が益し、床での行為につつましさを捨てた千代は妖艶に育って行ったからだ。

つまりこの「細君譲渡事件」、抱いて詰まらない女性であれば、春夫(はるお)もそこまで千代を我が物にする事に執心はしなかった筈である。


「細君譲渡事件」の翌年、千九百三十一年(昭和六年)に潤一郎は文藝春秋の記者・古川丁未子(ふるかわとみこ)と再婚する。

しかし潤一郎は、以前知り合った根津松子との関係が深くなり、直ぐに丁未子(とみこ)を邪魔にし始める。

この件に関しては、潤一郎の関心が根津松子に移っていた事もあるが、丁未子(とみこ)が千代の様に潤一郎の意志に沿って作品のモデルになる気が無かったからでもある。


松子の夫・根津清太郎は根津商店と言う大阪の大会社の御曹司で大富豪、松子も藤永田造船所専務・森田安松の四人姉妹の次女と言うお金持ちだった。

この根津清太郎がかなりの女好きの遊び人の上、芸術家のパトロンをする事を好んで、潤一郎もそのあたりの関わりで知り合った。

松子に惚れまくった潤一郎は、なんと松子の家の隣にいきなり引越し、お互い結婚しているいる身もおかまいなしに関係を続ける。

千九百三十五年(昭和十年)、松子が根津清太郎と離婚し戸籍を旧姓に戻して森田松子となった。

松子の離婚を期に潤一郎は二度目の妻・丁未子と離婚し、森田松子と三度目の結婚をする。

潤一郎の私生活は、佐藤春夫との「細君譲渡事件」や二度目の結婚・離婚、その間に永く関係が在った松子と三度度目の結婚をするなど、自由恋愛賑やかなものである。

谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)の女性遍歴は相当なもので、性癖も変態と指摘されるが、彼の作品はモデルを必要とし、その辺りが潤一郎(じゅんいちろう)の作品が高評価と結び付いて居そうである。


作家にとって、著作アイデアは「飯の種」・「金の成る木」で、世間体など気にしていては貧乏のままである。

事実多くの妻を娶(めと)り、その多様な家庭にも触れて潤一郎(じゅんいちろう)の著作アイデアは、永く枯れる事がなかった。

そして、その大正ロマン時代に流行ったモガ(モダンガール)・モボ(モダンボーイ)とは、戦前の若者文化である。

千九百二十年代の大正末期から昭和初期頃に、西洋文化の影響を受けて新しい風俗や流行現象に現れた外見的な特徴を指してこう呼んだ。

こうした情報が氾濫した大正ロマンの時代、庶民の生活規範も自由恋愛の風潮にかなり緩んで様々なドラマが在った時代だった。

谷崎潤一郎と石川千代(佐藤千代)の奔放(ほんぽう)な自由恋愛の生き方は、大正ロマンの個人主義・理想主義の申し子だったのかも知れない。

勿論他人が、その個人的価値観でこの二人を評価する権利など在りはしない。

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詳しくは小論・【大正ロマンに観る好景気と風俗規範】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2013-10-01 01:04  

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