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長元の乱(ちょうげんのらん)=平忠常の乱(たいらのただつねのらん)

長元の乱(ちょうげんのらん)=平忠常の乱(たいらのただつねのらん)は、平安時代の千二十八年(長元元年)に房総三カ国(上総国、下総国、安房国)で起きた反乱である。

平安時代のこの反乱は、関東地方では平将門(たいらのまさかど)の乱以来の大規模な反乱だった。

平忠常(たいらのただつね)は、平将門(たいらのまさかど)の叔父・平良文(たいらのよしふみ/村岡良文)の子孫に当たる

忠常(ただつね)は上総国、下総国、常陸国に父祖・平良文(たいらのよしふみ)以来の広大な所領を有し、傍若無人に振る舞い、国司の命に服さず納税の義務も果たさなかった。

千二十八年(長元元年)六月、忠常(ただつね)は安房守・平維忠(たいらのこれつね)を焼き殺す事件を起こす。

原因は不明だが、受領と在地領主である忠常(ただつね)との「対立が高じたも」と説明されている。

続いて忠常(ただつね)は、上総国の国衙(こくが/地方政治を遂行した役所)を占領してしまう。

上総介・縣犬養為政(あがたいぬかいのためまさ)の妻子が京へ逃れ、これを見た上総国の国人たちは忠常に加担して反乱は房総三ヵ国(上総国、下総国、安房国)に広まった。

この乱の鎮圧に朝廷は検非違使・平直方(たいらのなおかた)を主将とする討伐軍を派遣するが三年にわたって鎮圧できなかった。

平直方(たいらのなおかた)は検非違使を罷免され、直方(なおかた)は伊豆に一族の安住の地を得、後にこの子孫が鎌倉期北条氏となる。

代わって源氏武士団有力武士・源頼光(みなもとのよりみつ)の弟・源頼信(みなもとのよりのぶ)が起用されるに及び忠常(ただつね)は戦わず降伏した。

第二巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人

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by mmcjiyodan | 2013-12-03 13:39  

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