岐阜城(ぎふじょう)
元々は美濃守護代・斎藤利永が、室町期に金華山(稲葉山)に在った廃城を修復して居城とし、代々斎藤氏が居城としていた。
千五百二十五年(大永五年)斎藤氏家臣の長井長弘と長弘の養子・長井新左衛門尉(斎藤道三の父)が謀反を起こして斎藤氏の居城・稲葉山城を攻撃、城は長井氏の支配下となる。
千五百三十三年(天文二年)、長井家を継いだ新左衛門尉(斎藤道三の父)が没すると、その子・長井新九郎規秀(斎藤利政/後の斎藤道三)が後を継ぎ城主となる。
美濃国守護代になっていた斎藤利政(斎藤道三)が下克上を起こし、千五百四十一年(天文十年)美濃国守護・土岐頼芸(ときよりのり)を追放する。
千五百四十一年(天文十年)・織田信長の父・織田信秀が頼芸派(よりのりは)の家臣に助勢して稲葉山城下まで攻め入る「加納口の戦い」を起こすも大敗する。
千五百五十四年(天文二十三年)美濃国国主・斎藤利政(斎藤道三)、居城・稲葉山城と家督を嫡子の斎藤義龍に譲り剃髪、道三と号する。
千五百五十六年(弘治二年)父・道三と不仲になっていた二代・斎藤義龍が長良川の戦いにより道三を討ち取る。
千五百六十一年(永禄四年)、 義龍の急死により、三代・斎藤龍興が十三歳で家督を継ぎ、城主となる。
千五百六十七年(永禄十年)織田信長が、美濃国主・斎藤龍興から美濃国と稲葉山城を奪取し、稲葉山城の縄張りを破却して、新たに造営したものが岐阜城である。
山城の岐阜城の麓(ふもと)に館を増築して城の付属とし、その館を迎賓館として活用した。
阜城岐は、織田信長が近江国に安土城を建設、嫡子・織田信忠を岐阜城の城主にするまで信長の居城だった。
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皇統と鵺の影人
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