布織の技術・倭文(シズオリ)
読み方は、倭文と書いて「シズオリ」と読むのが正らしい。
別名を倭文織(しずお)り、綾布(あやぬの)、倭文布(しずぬの)などと呼び、カジノキや麻などを赤や青の色に染め、縞や乱れ模様を織り出した日本古代の織物(イラクサ染め)である
それが、朝鮮半島を経由して来た異国の文様に対する意で、「倭文(しず)の字を当てた」と言う。
勿論、最初は渡来氏族が日本列島にモタラした布織の技術であるが、それが日本全国に分布する機織(はたおり)の神様に成った。
その後、列島各地の土地それぞれに倭文(シズオリ)がなまって、しずり神社、しどり神社、しとり神社などと読ませる。
この倭文(しずおり)の意味は、「延喜式内社」として我が国の神社に加えられた「朝鮮半島系渡来文化」の織り布(イラクサ染め)の呼び名を「倭文」と呼び、それを祀っている。
これは、海洋系民族(呉族)の技法による朝鮮半島・新羅(シルラ)、任那(ミマナ)辺りからの職布が、「倭文(シズオリ)」であり、日本列島固有の物では無い事を意味している。
つまり日本列島を指して「倭国(わのくに)」とするのはかなり時代が下ってからで、「倭」の文字は、初期に於いて日本列島を指す言葉では無かった。
こうした渡来の布織技術を専門とした氏名(うじな)が、服部(はとりべ)・織部(おりべ)と言った大和朝廷下の職務名に充てられ、氏姓制度の基に成って居た。
つまり初期の日本列島に於いて、染色技術や布織技術が渡来氏族の独占技術だった事が、他の工業同様に技術者のステータスを高級化し、もって製品を高度な物に昇華させる下地を創った。
◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。
関連記事
小論・【葛城ミステリーと伊豆の国=伊都国(いとこく)説】に飛ぶ。
小論・【広域倭の国論(定説・日本倭国論の疑惑)】に飛ぶ。
【第一巻】に飛ぶ。
皇統と鵺の影人
【このブログの一覧リンク検索リスト】=>【日本史検索データ】
<=このブログのランキング順位確認できます。クリック願います(ランキング参戦中)★未来狂 冗談の公式WEBサイト(こうしきうぇぶさいと)
未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくる」<=このブログのランキング順位確認できます。
by mmcjiyodan | 2014-01-14 10:14