「河野談話」と曖昧文化
所謂「河野談話」は、慰安所設置に「旧日本軍が関与した」との調査結果報告の発表である。
だが、この「慰安所設置に旧日本軍が関与した」は占領地の女性保護を念頭に、旧日本軍がわざわざ娼婦館業者と娼婦を連れて行った事の軍の関与を認めたのである。
従って、韓国側が「軍の関与を認めた」と一括りに主張しているが、分けて検討すべき「強制連行」と言う犯罪行為の関与を認めたものでは無い。
これは蔓延している「気持ちの良い嘘話・武士道精神」の裏返しだが、日本は曖昧文化の国である。
何故なら「武士道精神」に於いては、決定的な事を言うと「武士に二言は無い」と責任を執らねば成らないから、物事を曖昧にする。
近隣国の中・韓や欧米の文化は「イェス オア ノー」でハッキリ応える文化だが、日本では断る積りでも「ノー」と応えるべきを「検討する」や「調べてみる」と曖昧に応えて相手に期待させる。
これを日本人は外交から商談まで、曖昧習慣の無い国に対して「独自文化だ」として押し通す。
日本人はやんわりと曖昧に応える事で相手に奥ゆかしい気使いをして居る積りだが、他国人相手でこの曖昧を使うと相手は「ずるい」としか受け取らない。
所が日本人は、ドライに「イェス オア ノー」で対峙する他国人を、「奥ゆかしさと言う礼儀を知らない無礼な連中」と噛み合わず、勝手に怒っている。
この曖昧文化の典型的な悪しき事例が、韓国側言う所の「従軍慰安婦強制連行問題」に対する「河野談話」の存在である。
実は当時の日本政府は、韓国側言う所の「従軍慰安婦強制連行問題」に対して争いを長引かせない為に「河野談話」で妥協して決着を図った。
つまり日本政府としては、事実検証は曖昧なまま政治決着目的で出した「河野談話」を、韓国側は、「日本政府が従軍慰安婦の強制連行を認めた」と、以後日本攻撃の格好の証拠としている。
日本人の発想は「島国に閉じ篭った善悪評価」であるから、それを「日本の独自文化」だと開き直って「国際社会でそのまま通用する」と誤解している所に、「独善的な呆(ほう)け」を感じる。
勿論日本人が民族として誇りを持つ事は大事だが、相手国の民族の誇りとも同様に、誇りを強く出せば互いに国際化(グローバル化)とは「宿命的矛盾(しゅくめいてきむじゅん)」に陥(おちい)るのである。
◆◆◆後日談◆◆◆
この慰安婦強制連行問題の発端となった済州島強制連行事件について、昭和五十八年に発刊された文筆家・吉田清治氏の「私の戦争犯罪」の取材記述を朝日新聞は記事として引用する。
この記事が日韓間の「慰安婦強制連行問題」の発端と、韓国側の被害主張の根拠と成って、時の官房長官が「河野談話」を発した切欠に成って居る。
しかし、これを報道した朝日新聞は、平成二十六年八月五日付け記事で済州島での強制連行の存在を証言は虚偽だと判断して漸(ようや)く否定・・・記事内容を取り消したが、責任謝罪は無い。
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