御成敗式目(ごせいばいしきもく)
そしてその権限は、尼将軍・北条政子が「承久の乱」に勝利して以後、権力を握った北条執権家が実質幕府を運営していた。
鎌倉時代に制定された武士政権の為の法令( 式目)が、御成敗式目(ごせいばいしきもく)である。
御成敗式目(ごせいばいしきもく)は、第二代執権・北条義時の長男・北条泰時(第三代執権)が中心になり、一門の長老・北条時房を連署とし太田康連、斎藤浄円らの評定衆の一部との協議によって制定された。
源頼朝(みなもとよりとも)が為した鎌倉幕府成立時には、成文法が存在しておらず、表向き律令法・公家法には拠らず、武士の成立以来の武士の実践道徳を「道理」として道理・先例に基づく裁判をして来た。
鎌倉幕府初期の政所や問注所を運営していたのは、京都出身の明法道や公家法に通じた中級貴族出身者であった。
その為に鎌倉幕府が蓄積して来た法慣習が、律令法・公家法と全く無関係に成立していた訳ではなかった。
鎌倉時代初期はまだ、関東は源氏・鎌倉幕府の政権、関西は京都の公家と西国の武家の政権が両立した様な状態だったのが「承久の乱」で関西の公家と西国の武家の勢力が衰える。
承久の乱以後、鎌倉幕府の勢力が西国にまで広がっていくと、地頭として派遣された御家人と公家などの荘園領主・現地住民との法的な揉め事が増加する様になる。
また、幕府成立から半世紀近くたった事で、膨大な先例・法慣習が形成され、煩雑化して行った。
更に数年前から天候不順によって国中が疲弊していたが、千二百三十一年(寛喜三年)には寛喜の飢饉が追い討ち隣、最悪の猛威として社会不安な世情であった
そこで第三代執権・北条泰時が評定衆の一部との協議によって、御成敗式目(ごせいばいしきもく)は制定された。
この武家法の目的は、鎌倉幕府御家人に関わる慣習や明文化されていなかった取り決めを基に、土地などの財産や守護・地頭などの職務権限を明文化する事である。
当時の武士(特に御家人)が巻き込まれ易かったのは、地頭として治める荘園に於ける荘園領主である公家との揉め事であり、武家社会との調和を図る為にこの武家法は制定された。
また、御成敗式目(ごせいばいしきもく)は武家法で、例えば妻が夫以外の男を私通した場合、妻とその相手の男が罪に問われる姦通罪がある。
しかし面白き事に、夫が側室(妾)を持つ事や稚児遊び・男色・衆道(しゅどう)の類は禁じられるどころかある種ステータスとして容認されていた。
また、あくまでも武家法であるから平民・非民にはこの法令は及ばない。
つまり村落部に於ける「夜這い制度」や「寝宿制度」、そして「筆おろし(ふでおろし)の風習」と「水揚げ(みずあげ)の風習」は、取締りの対象ではない。
また、「暗闇祭り(くらやみまつり)」も目こぼしの対象だった。
御成敗式目(ごせいばいしきもく)は鎌倉幕府の基本法で日本最初の武家法だが、公家法からの幕府法の独立を宣言したものとする解釈が通説となっている。
式目の適用は武家社会に限られ、朝廷の支配下では公家法、荘園領主の下では本所法が効力を持った。反対に幕府の支配下では公家法・本所法は適用されないものとして拒絶している。
御成敗式目(ごせいばいしきもく)は、公家と武家社会との調和を図る為に制定されたもので、武家法の体系化や武家法に基づく新秩序形成を目的とした訳では無い。
少なくても御成敗式目(ごせいばいしきもく)は、公家法の存在を前提かつ形式的な「模範・素材として活用した物」と言える。
なお、御成敗式目(ごせいばいしきもく)は鎌倉幕府滅亡後においても法令としては有効であった。
足利尊氏(あしかがたかうじ)も御成敗式目の規定遵守を命令しており、室町幕府に於いて発布された法令、戦国時代に戦国大名が制定した 分国法も、御成敗式目を改廃するものではなく、追加法令と言う位置付けであった。
御成敗式目(ごせいばいしきもく)は女性が御家人となる事を認めており、この規定によって戦国時代には女性の城主が存在し、立花城主の立花誾千代、淀城主の淀殿(淀君)などが知られる。
江戸幕府に於いて「武家諸法度」の施行に依り、御成敗式目(ごせいばいしきもく)は武士の基本法としての位置づけを譲る事になる。
だが、法令としての御成敗式目(ごせいばいしきもく)の有効性には変わりなく、明治時代以降に近代法が成立するまで続いた。
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