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神田明神(かんだみょうじん)と神田姓

神田姓の語源は神社維持に当てられた田=御田(おみた=神田)を由来とし、地名としても全国に多い。

神田姓には、神田宿禰(かんだのすくね)、大伴氏嵯峨源氏松浦氏流桓武平氏平将門流など諸流に多く存在する。

挙げられる第一系が神田宿禰(かんだのすくね)である。

神田宿禰(かんだのすくね)の宿禰(すくね)は、八色の姓で制定された真人(まひと)、朝臣(あそん)についで順位三番目に位置する姓(カバネ)の一つである。

宿禰(すくね)は、大和朝廷初期に名前として使われていたり貴人を表す尊称としてもちいられて、つまり神田宿禰(かんだのすくね)は人名であり神田姓(カバネ)の祖である。

神田宿禰(かんだのすくね)は、出雲系氏族が武蔵国豊島郡芝崎村に大己貴命(おほなむちのみこと=大黒様=大国主)を祖神として祀った事からはじまる一族である。

武蔵国豊島郡芝崎村の御田(おみた=神田)は伊勢神宮の御神領田地として開かれ、神田明神は神田ノ宮と称した。

この神田ノ宮が、江戸時代の江戸城増築に伴い千六百三年(慶長八年)に神田台へ、さらに千六百十六年(元和二年)に現在地(千代田区外神田二丁目)へ遷座し今日に到る。

神田明神の「明神(みょうじん)」とは、神は仮の姿ではなく「明らかな姿をもって現れている」と言う意味であり、日本神道の神の称号の一つで天皇を指す場合には特に「あきつみかみ=明神」と読む。

明神系神社は田の神・事代主神(ことしろぬしのかみ/賀茂の神)を祀る神社である。


日本の元神様は大己貴命(おほなむちのみこと=大黒様=大国主)である。

事代主神(ことしろぬしのかみ/賀茂の神)は田の神様(稲作の神)で、大己貴命(おほなむちのみこと=大黒様=大国主)の子である。

そして京都の上賀茂神社の境内を流れる「ならの小川」は、境内を出ると明神川と名を変える事から、つまり上賀茂神社も上賀茂明神なのである。

織田信長が戦国統一の有力大名の列に加わったのは桶狭間の合戦今川義元を破ったからで、その時戦勝祈願したのが熱田神宮(熱田明神)である。

熱田神宮(あつたじんぐう)は愛知県名古屋市熱田区にある神社で、旧官幣大社、「式内社(名神大)」である。

織田氏の出自とされる越前国織田庄・剣神社(つるぎじんじゃ)は別名を織田明神社とされる明神様で、尾張一ノ宮・熱田神宮も別名は熱田明神社である。

織田庄・剣神社(つるぎじんじゃ)は越前国二宮とされる「式内社」で別名を織田明神(おたみょうじん)と呼ぶ。

実は葛城ミステリー三島大社(三島明神)も、江戸の守り神の一社・神田明神も、同じ事代主神(ことしろぬしのかみ/賀茂の神)を主神とするもので、海彦伝説呉族系神が現れたものである。


初期の神田明神創建目的は、「平将門(たいらのまさかど)の魂を沈める為だった」と言われる伝承も伝わって居る。

その場合は、「身体(からだ)=神田(かんだ)」と言う語呂合わせのこじ付けみたいな逸話も残っている。


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by mmcjiyodan | 2014-05-20 17:47  

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