内助の功(ないじょのこう)
この事が社会にとって良い事かどうかの論議は別にして、以前は「内助の功(ないじょのこう)」と言う言葉(慣用句)が存在した。
「内助の功(ないじょのこう)」とは、婦人が女性の特性を生かしながら夫の働きを支え、夫に大きな働きをさせる行為を言う。
北政所「おね(ねね)」が、秀吉子飼いの大名達に大きな影響を与えたのは、北政所「おね(ねね)」が、小さな武家時代から母代わり姉代わりとして慈しみ接し育てた「内助の功」が存在したからである。
つまりこれから育てる若手家臣に対して、秀吉とおね(ねね)の夫婦は叱り役と励まし役を自然に分担していた。
だから一人前に成長した後も、秀吉子飼いの恩顧大名達にとっては北政所「おね(ねね)」在ってこその豊臣家家臣だった。
その辺りの「情」の部分が、クールな理論家の石田三成(いしだみつなり)には理解出来なかったのかも知れない。
そしてこれは、江戸期に豪商として発展した商家の「おかみさん文化の内助の功」とも共通するお家発展のメカニズムだった。
また、戦後一時期の集団就職時代に零細企業から成長した一部の企業で、大きな力となった社長婦人が「若い金の卵(就職者)」に細やかに接した見習うべき力(内助の功)にも相当する。
「内助の功(ないじょのこう)」の慈しみ精神が婦人からなく成れば、社長婦人は夫同様に務め手を批判的な目でドライに評価し、結果、身内的な忠臣を育てられない。
物事には何かを得れば何かを失う宿命的矛盾(しゅくめいてきむじゅん)と言う現実がある。
つまり現代日本社会が、中小零細企業が育つ家庭的な環境を潰してしまったのが、「男女機会均等」や「男女共同参画」の概念かも知れない。
いずれにしても、天才心理学者・天才軍師である黒田官兵衛孝高】は、豊臣家の実権が淀君(よどぎみ/浅井茶々)と豊臣秀頼(とよとみのひでより)の親子に移って子飼いの恩顧大名達が離れて行くのを読み込んでいた。
詳しくは小論・【軍師・黒田官兵衛孝高と長政】を参照下さい。
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皇統と鵺の影人
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