昭和天皇・裕仁(ひろひと)陛下と「玉音放送」
後に践祚(せんそ/天子の位を受け継ぐ)して大正天皇となる明治天皇の皇太子・嘉仁親王と節子妃(後の貞明皇后)の第一皇子として誕生する。
昭和天皇は、神話上の天皇を除くと、在位約六十二年と歴代天皇の中で期間が最も長く、最も長寿(宝算八十七年)であった。
その昭和天皇の御世に、大東亜戦争(太平洋せんそう)と名付けた大戦争が起こった。
昭和天皇は、望まぬままに当時の軍事政権から現人神(あらひとかみ)と祀り上げられた人物であるが、その国民を愛する精神は正に神そのものだった。
しかし残念ながら、欺瞞に満ちた臣下達の思惑は、単純ではない陰謀が煮えたぎッた後の話で、昭和天皇はその臣下の思惑に翻弄された。
正義と言うものは、各自の信じるところに拠って矛盾を生じるもので、歴史は常に残酷な殺戮(さつりく)と伴に在った。
従って、その正解は「勝ち残った者(連合国側)の主張」と言う事に成る。
つまり昭和天皇陛下の望まない大戦が、欺瞞に満ちた臣下達の思惑で進んでいても、それに苦悩為されながらも、昭和天皇陛下の心は国民と伴に在った。
広島や長崎に、都市を一瞬で破壊する特殊爆弾を投下されるなど戦局不利に成る中、昭和天皇陛下はこれ以上の国民の受害を抑えるべく、終戦の国策決定などに深く関与する。
昭和天皇陛下が自ら国民に語りかけた「玉音放送」など終戦の手続きを辿り、日本は進駐軍を受け入れる。
そして今また、終戦時の「玉音放送」の音声が、時を超えて鮮やかによみがえる。
「朕(ちん)深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑(かんが)ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ 收拾セムト欲(ほっ)シ茲(ここ)ニ忠良ナル爾(なんじ)臣民ニ告ク・・・」
あの時(昭和二十年八月十五日)、昭和天皇の玉音が流れなかったら、日本人は、あの戦いを「ピタリ」と止める事が出来たのか、大いに疑問ではないか。
玉音がなかったら、「本土決戦」と言う泥沼に嵌まっていたかも知しれない。
それこそ葛城朝が二千年前に画策した血の民族同化の目論みは見事成功して、「大和単一民族」が完成していた証拠だ。
昭和の時代、昭和天皇と皇室は間違いなく、「日本の守り神」として機能した。
千九百四十八年(昭和二十二年)に施行された日本国憲法の下では、昭和天皇陛下は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」である天皇として「国政に関する権能を有しない」ものとされた。
昭和天皇・裕仁(ひろひと)陛下と、今上天皇(きんじょうてんのう/平成天皇)であられる継宮(つぐのみや)・明仁(あきひと)陛下の東条英機(とうじょうひでき)氏への想いは、戦犯合祀後の靖国神社参拝に対する御意志で推測がつく。
昭和天皇・裕仁陛下も、現在の今上天皇・明仁陛下も、「A級戦犯合祀」が公に成って以来「靖国神社」には参拝していない。
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皇統と鵺の影人
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