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八咫烏(やたがらす)伝説

三種の神器(みくさのかむだから/さんしゅのじんぎ)の一つ八咫鏡(やたのかがみ)の名称は、神武東遷(じんむとうせん)物語の「八咫烏(やたがらす)神話」にその源を感じる。

初期の日本列島は、部族を中心とした都市国家もどきの小国が乱立していて、それぞれが国主(くにぬし/部族長)を支配者として頂いていた。

やがて、その都市国家もどきの小国が徐々に統合され、国主(くにぬし/部族長)が支配する国々が大国主をいただく連合国家に成長する。

神武東征が始まって西日本を統一した大和朝廷が成立、統一を果たした神武大王(じんむおおきみ・初代天皇)が即位する。

その西日本統一過程の当事者だった国主(くにぬし/部族長)が、日本神話に於ける神々として登場し、神武東征に下りて助勢協力したり行く手を阻んで抵抗したりする者が神格化されて神話に名が残った。

日本列島各地に乱立した小国家群は、時の経過と伴に統一の経過を辿り、九州で勢力を誇った神武大王(おおきみ/天皇)が進路の小国を傘下に収めつつ畿内山城国遷都に至る経緯が、神武東遷物語である。


八咫烏(やたがらす、やたのからす)は、日本神話に於いて「神武大王(おおきみ/天皇)を大和の橿原(かしはら)まで案内した」とされており、古来導きの神として信仰されている。

八咫烏(やたがらす)は、神武東征=神武東遷(じんむとうせん)の際、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)によって神武大王(おおきみ/天皇)の下に遣わされ、「熊野国から大和国への道案内をした」とされるカラス(烏)である。

八咫烏(やたがらす、やたのからす)は、中国や朝鮮の伝承で太陽の化身ともされ、一般的に三本足のカラスとして知られ、古くよりその姿絵が伝わっている。

また、現代では、八咫烏(やたがらす)は主に日本サッカー協会のシンボルマーク及び日本代表エンブレムの意匠として用いられている


日本史と深く関わる信仰の熊野三山に於いて、カラスはミサキ神(死霊が鎮められたもの/神使)とされている。

八咫烏(やたがらす、やたのからす)は、熊野大神(素盞鳴尊/スサノウのみこと)に仕える存在として信仰されており、熊野のシンボルともされる。


近世以前に、よく起請文として使われていた熊野の牛玉宝印(ごおうほういん)には、カラスが描かれている。

咫(あた)は古来の長さの単位で、親指と中指を広げた長さ(約十八センチメートル)の事である。

つまり八咫(やた)は、十八センチメートルの八倍百四十四センチメートルとなるが、ここで言う八咫は、八を使う用法の単に「大きい」という意味で使っている。

なお、八咫烏(やたがらす)は、桓武帝が皇統の正統性を示させる為に編纂した「日本書紀」や「古事記」に登場する。

その、「日本書紀」では、同じ神武東征の場面で、金鵄(金色のトビ)が長髄彦(ながすねひこ)との戦いで神武大王(おおきみ/天皇)を助けたともされる。

その為に、八咫烏(やたがらす)と金鵄が、しばしば同一視ないしは混同される事もある。


八咫烏(やたがらす)が三本足である事が何を意味するか、については諸説ある。

熊野本宮大社では、八咫烏(やたがらす)の三本の足はそれぞれ天(天神地祇)・地(自然環境)・人を表し、神と自然と人が、同じ太陽から生まれた兄弟である事を示すとしている。

また三本足は、過つて熊野地方に勢力をもった熊野三党(榎本氏、宇井氏、藤白鈴木氏)の威(い)を表すとも言われる。

しかしながら、「古事記」や「日本書紀」には三本足であるとは記述されておらず、後世に中国や朝鮮の伝承の鳥・「三足烏(さんそくう)」と同一視され、三本足になったともいわれる。

また千九百三十九年(昭和十四年)に、「天皇の命令」の形式をとる勅令(勅令第四九六号)によって制定された日中戦争の従軍記章たる支那事変従軍記章は、その章(メダル)の意匠に八咫烏(やたがらす)を用いるが、これは三本足ではなく二本足であった。

一方一九三十一年(昭和六年)には、サッカー協会のマークとして三本足の鳥を図案化している。

これは中国の故事に基づいたものと言われているが、日本サッカー協会のウェッブサイトでは、三足烏(やたがらす)と表現している。

元々賀茂氏が持っていた「神の使いとしての鳥」の信仰と、中国の「太陽の霊鳥」が習合したものともされる。


古来より太陽を表す数が三とされて来た事に由来するとする見方は、宇佐神宮など、太陽神に仕える日女(姫)神を祭る神社(ヒメコソ神社)の神紋が、三つ巴である事と同じ意味を持っているとする説である。

中国では古代より道教と関連して奇数は陽を表すと考えられており、「三足烏(さんそくう)」は、中国神話では太陽に棲むといわれる。

陰陽五行説に基づき、二は陰で、三が陽であり、二本足より三本足の方が太陽を象徴するのに適しているとも、また、「朝日、昼の光、夕日を表す足である」とも言われる。


上述のように、三足烏の伝承は古代中国の文化圏地域で見られる。

中国では前漢時代から三足烏が書物に登場し、王の墓からの出土品にも描かれている。

三脚の特色を持つ三脚巴やその派生の三つ巴は非常に広範に見られる意匠である。

三本足のカラスの伝承については朝鮮半島では、かつて高句麗があった地域(現在の北朝鮮)で、三本足のカラスを描いた国旗が使用された事も在った。

一方、三本足のカラスの伝承は朝鮮半島南部(現在の韓国)にまでは広がっていなかったという。

日本神話の「東征」に於いて、八咫烏(やたがらす)は瀬戸内海から近畿に進もうとした神武大王(おおきみ/天皇家)の道案内を務めたとされる。

神武大王(おおきみ/天皇)は、当初畿内豪族勢に対して正面突破を挑み、西から大阪に攻め入って敗れる。

為に、太陽神・天照大神の子孫である自分たちは西から東へではなく、東から西へ日の出の方角に向かって攻め入るべきだと考えた。

つまり畿内豪族勢に対して、山越えの裏口突破を狙った奇襲作戦である。

そこで八咫烏(やたがらす)の案内により、瀬戸内海から紀伊半島を大きく迂回して現在の南紀・新宮(和歌山県)付近に上陸する。

この南紀・新宮から攻め入る事にし、その後、大和国南部・吉野(奈良県)を経て橿原(かしはら)に行き畿内豪族勢を制圧して大和朝廷を開いた。


日本の古代神話に於いて、八咫烏(やたがらす)は熊野の神の使いとしても活躍する。

山でイノシシを追っていたある猟師がカラスに導かれて大木をみい出し、そこに見えた光に矢を向けると、「私は熊野の神である」と言う声が聞こえた為その神を祀る社を建てたと言う。

この時が、熊野の神が人々の前に「初めて姿を現した瞬間だ」と伝えられる。

八咫烏(やたがらす)の記録は「古事記」、「日本書紀」、「延喜式」のほか、キトラ塚古墳の壁画や珍敷塚古墳(福岡県)の横穴石室壁画、千葉県木更津市の高部三十号噴出土鏡、玉虫厨子(法隆寺)の台座などにみられる。

「新撰姓氏録」では、八咫烏(やたがらす)は高皇産霊尊(たかみむすびの)の曾孫である賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)の化身である。

その後、賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)は、鴨県主(かものあがたぬし)の祖となったとする。

奈良県宇陀市榛原の八咫烏神社は、建角身命(たけつのみのみこと)を祭神としている。

八咫烏(やたがらす)は、戦国時代には紀伊国の雑賀衆(さいがしゅう)を治めた鈴木家の家紋・旗ともなっている。


詳しくは関連小論・【神武東遷物語・神話顛末記】を参照下さい。

◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。

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by mmcjiyodan | 2015-01-19 18:17  

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