高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)
やがて、その都市国家もどきの小国が徐々に統合され、国主(くにぬし/部族長)が支配する国々が大国主をいただく連合国家に成長する。
神武東征が始まって西日本を統一した大和朝廷が成立、統一を果たした神武大王(じんむおおきみ・初代天皇)が即位する。
その西日本統一過程の当事者だった国主(くにぬし/部族長)が、日本神話に於ける神々として登場し、神武東征に下りて助勢協力したり行く手を阻んで抵抗したりする者が神格化されて神話に名が残った。
日本列島各地に乱立した小国家群は、時の経過と伴に統一の経過を辿り、九州で勢力を誇った神武大王(おおきみ/天皇)が進路の小国を傘下に収めつつ畿内山城国遷都に至る経緯が、神武東遷物語である。
高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)は、日本神話に於いて別天津神(わけあまつかみ)の一柱の神である。
「古事記」では高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、「日本書紀」では高皇産霊尊と書かれる。
また、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)は葦原中津国平定・天孫降臨の際には高木神(たかぎのかみ)と言う名で登場する。
別名の通り、本来は高木が神格化されたものを指したと考えられている。
「産霊(むすひ)」は生産・生成を意味する言葉で、神皇産霊神(かみむすびのかみ)とともに「創造」を神格化した神である。
女神的要素を持つ神皇産霊神(かみむすびのかみ)と対になり、男女の「むすび」を象徴する神であるとも考えられる。
「古事記」によれば、天地開闢の時、最初に天之御中主神(あめのみなかぬしかみ)が現れ、その次に神皇産霊神(かみむすびのかみ)と共に高天原に出現したとされるのが高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)と言う神である。
高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の子に知恵を司どる思兼神(おもいかね)、機織りの女神・栲幡千千姫命(たくはたちじひめみこと)がいる。
天之御中主神(あめのみなかぬし)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)は、共に造化の三神とされる。
この三柱は、いずれも性別のない神、かつ人間界から姿を隠している「独神(ひとりがみ)」とされている。
この造化三神のうち、神皇産霊神(かみむすびのかみ)と高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)は、その活動が皇室・朝廷に直接的に大いに関係していると考えられた為、天皇守護 の神・神祇官八神(しんしかんはっしん)として八神殿で祀られた。
高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)は、「日本書紀」では天地初発条一書第四に「又曰く?」と言う形式で登場している。
その他では巻十五の「顕宗紀」に於いて阿閇臣事代が任那に派遣され壱岐及び対馬に立ち寄った際に、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の名前が登場する。
また高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)は、「延喜式」、「祝詞」、「出雲国神賀詞」では「神王高御魂命」とされている。
天照大神(あまてらすおおみかみ)の御子神・天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)が高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の娘・栲幡千々姫(たくはたちじひめ)と結婚して生まれたのが天孫ニニギの命(みこと)である。
つまり、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)は天孫ニニギの外祖父に相当する。
天津国玉神(あまつくにたま/天国玉神)の子である天若日子(あめのわかひこ)が、天孫降臨に先立って降ったが復命しなかった。
天若日子(あめのわかひこ)は、その問責の使者・雉(きぎし)の鳴女(なきめ)を射殺した為高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)にその矢を射返されて死んだという。
しかし「古事記」では、即位前の神武大王(おおきみ・天皇)が熊野から大和に侵攻する場面で夢に登場する。
さらに天照大神(あまてらすおおみかみ)より優位に立って天孫降臨を司令している伝(つたえ)も存在する事から、この神が本来の皇祖神だとする説もある。
詳しくは関連小論・【神武東遷物語・神話顛末記】を参照下さい。
◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。
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by mmcjiyodan | 2015-01-23 21:31