五代友厚(ごだいともあつ)
友厚(ともあつ)は、「三国名勝図会」の執筆者で記録奉行である五代直左衛門秀尭(ごだいなおざえもんひでたか)の次男として千八百三十六年に薩摩国鹿児島城下長田町城ヶ谷(現鹿児島市長田町)生まれた。
質実剛健を尊ぶ薩摩の気風の下に育てられ、八歳になると児童院の学塾に通い、十二歳で聖堂に進学して文武両道を学ぶ。
友厚(ともあつ)は十四歳の時に、琉球交易係を兼ねていた父・秀尭(ひでたか)に奇妙な地図を広げて見せられた。
父・秀尭(ひでたか)が見せたものは、藩主・島津斉興(しまずなりおき)がポルトガル人から入手した世界地図だった。
友厚(ともあつ)は、父・秀尭(ひでたか)からこの世界地図の複写を命じられる。
千八百五十四年(安政元年)、友厚(ともあつ)十八歳の時に米国人マシュー・ペリーが米国インド艦隊を率いて浦賀沖に来航し天下が騒然となる。
この時友厚(ともあつ)は、「男児志を立てるは、まさにこのときにあり」と奮いたったと記録されている。
千八百五十五年(安政二年)、友厚(ともあつ)は藩の郡方書役助(農政を司る役所の書記官補)となる。
兄の徳夫が強烈な鎖国論者にも関わらず、友厚(ともあつ)は開国論者の立場に立つ。
翌千八百五十六年(安政三年)、友厚(ともあつ)は長崎海軍伝習所へ藩伝習生として派遣され、オランダ士官から航海術を学ぶ。
千八百六十二年(文久二年)、友厚(ともあつ)は海外渡航を企て、藩に懇願するも拒まれる。
友厚(ともあつ)は幕府艦・千歳丸に水夫として乗船し上海に渡航、藩のために汽船購入の契約をする。
翌千八百六十三年(文久三年)、生麦事件によって発生した薩英戦争では、友厚(ともあつ)は三隻の藩船ごと松木洪庵(寺島宗則)と共にイギリス海軍の捕虜となる。
しかし友厚(ともあつ)は、通弁(通訳)の清水卯三郎のはからいにより、横浜に於いて小舟にてイギリス艦を脱出し江戸に入る。
友厚(ともあつ)は、イギリスの捕虜となった事が国元悪評となった為、薩摩に帰国できず、しばらく潜伏生活をする。
その後友厚(ともあつ)は、長崎で出会った同じ薩摩藩士の野村盛秀の取り成しによって帰国を許された。
千八百六十五年(慶応元年)、友厚(ともあつ)は武器商人・トーマス・ブレーク・グラバーの仲介で、藩命により寺島宗則・森有礼らとともに薩摩藩遣英使節団として英国に出発する。
一行は欧州各地を巡歴。ベルギーのブリュッセルでモンブランと貿易商社設立契約に調印、これは薩摩藩財政に大きく寄与するものとみなされたが、諸要因により失敗に終わる。
しかしこの時の経験が、後の実業家・五代友厚(ごだいともあつ)の経営手腕に大きな影響を与える事になる。
同千八百六十五年(慶応元年)、友厚(ともあつ)は御小納戸奉公格に昇進し薩摩藩の商事を一気に握る会計係に就任する。
友厚(ともあつ)は、長崎の武器商人・トーマス・ブレーク・グラバーと合弁で長崎小菅にドックを開設するなど実業家の手腕を発揮し始めた。
ここで言うドックと言うのは、俗にそろばんドックと呼ばれるもので、今も現存している。
千八百六十八年(慶応四年)、戊辰戦争が勃発し友厚(ともあつ)は同じ薩摩藩の西郷隆盛や大久保利通らとともに倒幕に活躍した。
戊辰戦争に勝利し、友厚(ともあつ)は千八百六十八年(明治元年)に明治新政府の参与職外国事務掛となる。
外国官権判事、大阪府権判事兼任として大阪に赴任し、堺事件、イギリス公使パークス襲撃事件などの外交処理にあたった。
友厚(ともあつ)は大阪に造幣寮(現・造幣局)を誘致し、また初代大阪税関長となり、大阪税関史の幕を開ける。
千八百六十九年(明治二年)、友厚(ともあつ)は退官する。
退官の後、本木昌造の協力により英和辞書を刊行、また硬貨の信用を高める為に金銀分析所を設立する。
紡績業・鉱山業(奈良県天和銅山・福島県半田銀山など)・製塩業・製藍業(朝陽館)などの発展に尽力する。
友厚(ともあつ)は薩長藩閥政府との結びつきが強く、千八百七十五年(明治八年)に大久保利通、木戸孝允、板垣退助らが料亭に集って意見の交換を行った「大阪会議」や、黒田清隆が批判を浴びた開拓使官有物払下げ事件にも関わり、政商と言われた。
友厚(ともあつ)は、大阪経済界の重鎮の一人として大阪株式取引所(現・大阪証券取引所)、大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)、大阪商業講習所(現・大阪市立大学)、大阪製銅、関西貿易社、共同運輸会社、神戸桟橋、大阪商船、阪堺鉄道(現・南海電気鉄道)などを設立した。
千八百八十五年(明治十八年)八月、友厚(ともあつ)は東京で療養生活を送り始め、そのまま同年九月末頃に四十九歳で東京於いて逝去した。
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