枢軸国(すうじくこく)(二)
千九百四十二年六月二十六日からのスターリングラード攻防戦はドイツの敗北に終わり、枢軸国にとって戦局は悪化の一途をたどるようになった。
戦局利あらずと観たフィンランドはこの時期からアメリカを仲介としてソ連と休戦交渉を行っている。
千九百四十三年七月二十四日、イタリア王国でクーデターが発生し、ムッソリーニは逮捕・監禁されたがドイツによって救出された。
九月八日イタリア王国は連合国に降伏したが、九月二十三日にはドイツによってムッソリーニを首班とするイタリア社会共和国がイタリア北部に成立し、枢軸国として戦闘を続けた。
またアルバニアはドイツの占領下に置かれ、ドイツ主導による傀儡政権の統治下に置かれた。
千九百四十三年十月三日、ムッソリーニのイタリア社会共和国と別に存在したイタリア王国はドイツに宣戦布告した。
同千九百四十三年十月二十一日、日本の支援の下自由インド仮政府が成立する。
自由インド仮政府軍はインドの宗主国であるイギリスに対して戦闘を行った。
同十一月十六日、大東亜会議において大東亜共同宣言が宣言された。
この宣言は「大東亞各國ハ相提携シテ大東亞戰爭ヲ完遂シ」とあるように、日本と同盟しアメリカ・イギリスと戦うという内容であった。
この際、日本は会議参加国に対して米英への宣戦布告を要求した。
ビルマはイギリス・アメリカに宣戦布告したものの、フィリピン第二共和国は宣戦を拒絶した。
同千九百四十三年の後半になると、欧州に於ける東部戦線は崩壊し始める。
八月二十四日、ルーマニアはクーデターによって連合国側につき、ドイツに対して宣戦布告を行った。
同九月九日にはブルガリアでもクーデターが発生し、連合国側について枢軸国に宣戦した。
その十日後の九月十九日、継続戦争を戦っていたフィンランドはソ連と休戦条約を結んだ。
その後フィンランドは駐留ドイツ軍とラップランド戦争と称される交戦を行う。
同十月十五日にはハンガリーも対ソ休戦を発表しようとしたが、ドイツ軍のクーデターによって親独派の矢十字党政権のハンガリー国が成立し、枢軸国側に留まった。
西部戦線でも八月二十六日にパリが連合軍によって奪回されるなど、ヴィシー政権とドイツのフランス支配は終焉した。
千九百四十五年三月、日本は支配下に置いていた仏領インドシナからベトナム帝国、ラオス王国、カンボジア王国を独立させ、傀儡政権を樹立する。
そんな中、ヨーロッパは完全に連合国側の手に落ち、欧州の枢軸国は次々と脱落・消滅していった。
同年四月二十五日にはイタリア社会共和国が降伏、五月八日にはドイツが降伏した。
最後に残った日本も、広島・長崎への原爆投下の甚大な被爆被害を受け、八月十五日に降伏受け入れを表明し、九月二日には正式な降伏文書調印を行った。
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皇統と鵺の影人
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