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宣化大王(せんかおおきみ/天皇)

宣化大王(せんかおおきみ/第二十八代天皇)は、継体大王(けいたいおおきみ/天皇)の第二子で、母は尾張目子媛(おわりのめのこひめ)である。

安閑大王(あんかんおおきみ/天皇)の同母弟であり欽明大王(きんめいおおきみ/天皇)の異母兄にあたる。

日本書紀」では、諱を檜隈高田皇子(ひのくまのたかたのみこ)という。

古事記」では、 和風諡号を建小広国押楯命(たけをひろくにおしたてのみこと)といい、「日本書紀」では武小広国押盾天皇(たけをひろくにおしたてのすめらみこと)という。

宣化大王(せんかおおきみ)の皇后は、仁賢大王(にんけんおおきみ/天皇)の皇女・橘仲皇女(たちばなのなかつひめみこ)である。

妃には、大河内稚子媛(おおしこうちのわくごひめ)が居る。

宣化大王(せんかおおきみ/天皇)の皇女の内、石姫皇女(いしひめのひめみこ)は異母弟・欽明大王(きんめいおおきみ/天皇)の皇后・となって居る。

同じく宣化帝の皇女・小石姫皇女(おいしひめのひめみこ)・倉稚綾姫皇女(くらのわかやひめのひめみこ)・日影皇女(ひかげのひめみこ)の三人も欽明大王(きんめいおおきみ)の妃となって居る。


先の安閑大王(あんかんおおきみ/天皇)が崩御したとき、その子供がなかったために同母弟の宣化大王(せんかおおきみ/天皇)が満六十九歳にして即位した。

在任中の業績としては、筑紫の官家の整備を行い、大伴金村(おおとものかなむら)に命じて新羅(シルラ)に攻められている任那(ミマナ)に援軍を送った。

五百三十六年とされる即位元年に蘇我稲目(そがのいなめ)が大臣となり、子の蘇我馬子(そがのうまこ)以降続く蘇我氏の全盛の礎が築かれる事となる。

高齢での即位と、在位が三年余りと短い為、宣化大王(せんかおおきみ/天皇)にはあまり主立った事績は無い。

また、安閑・宣化朝は父・継体大王(けいたいおおきみ/天皇)死後直ぐに即位した異母弟の欽明大王(きんめいおおきみ/天皇)と並立していたとの説(辛亥の変仮説)がある。

いずれにせよ、宣化大王(せんかおおきみ)の血統も石姫皇女(いしひめのひめみこ)を通して現在まで受け継がれる事となる。

一説に、飛鳥時代の歌人・額田王(ぬかたのおおきみ)は宣化大王(せんかおおきみ)の四世孫(玄孫)とも言われる。


ただしこの頃の大王(おおきみ/天皇)の物語は、時系列からすると古事記・日本書紀の編纂からはかなり以前の事で、編纂までの間に為政者の都合による創作が紛れ込んでも違うとも正しいとも証明が出来ない。

参考・【古事記・日本書紀の皇統神格化疑惑】を参照下さい。


◆神話で無い、リアルな初期日本人の成り立ちについては、【日本人の祖先は何処から来たのか?】を参照下さい。


大王(おおきみ)=天皇(てんのう)】に飛ぶ。
古墳時代(こふんじだい)】に飛ぶ。

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by mmcjiyodan | 2017-10-31 03:23  

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