琳聖(りんしょう)太子
琳聖太子は、 大内氏(豪族~大名)の「伝説的始祖」とされている。
琳聖太子は、 大内氏の伝説的始祖とされているが、六百十一年(推古天皇十九年)百済国聖明(さいめい)王第三子、琳聖太子が周防国多々良浜に上陸した。
琳聖太子は摂津に上り、聖徳太子に拝謁して、「周防国大内県(おおうちあがた)を賜った」と言う。
琳聖太子は青柳浦に立ち寄られ、北辰尊星妙見大菩薩を祀る社を桂木山に建立し、日本で初めての 「北辰祭(妙見祭)を行った」と伝えられている。
なお、琳聖太子は、多々良姓を賜って日本に帰化し、後に領国・大内県(おおうちあがた)の名を採り西国一の大名になる大内氏の祖先になった 。
この降星伝説、周防、長門に五百年間と長く君臨した「大内氏の出自を正当化する政治工作」とも言われているが、いずれにしてもこの地では、妙見信仰は長く庇護され、人々に根付いていた。
琳聖太子が妙見大菩薩を祀る社を「桂木山に建立した」とあるが、この桂木山が、同名で後二山、「葛城山」と違う字で全国に三山あり、「臣籍降下した」と言う皇統に葛城王と言う親王の血統を持つ貴族が存在しているが、関わりはあるのだろうか?
明治維新以後、この地方の小さな町々から光市出身の伊藤博文(いとうひろぶみ)を始めとして、三人もの総理大臣を輩出している。
総理大臣が田布施町出身の岸信介と佐藤栄作氏で、政治家に縁のある土地柄である。
維新の「長州閥」と言ってしまえばそれまでだが、この土地の隠された謎も後ほどの章で解明してみたい。
日本に於ける神道系信仰習俗をまとめると、「歌垣の習俗」から「豊年祭り」に「エエジャナイカ騒動」、「暗闇祭り」から「皇室祭祀」に到るまで、「北辰祭(ほくしんさい/北斗・北辰信仰)」に集約される「妙見信仰」の影響が色濃く残っている。
そして天孫降(光)臨伝説の創出に、賀茂・葛城の事代主(ことしろぬし)の神と共に天之御中主神(あめのみなかみぬしかみ)の妙見信仰が「習合的に採用された」と考えられるのである。
【大内氏(おおうちうじ)】に続く。
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未来狂冗談のもうひとつの政治評論ブログ「あー頭にくる」<=このブログのランキング順位確認できます。by mmcjiyodan | 2008-04-27 15:35