源頼政(みなもとよりまさ)
当時の平安の都は、平安群盗(蝦夷ゲリラ)の出没が未だ収まらず、何時(いつ)恐ろしい場面に出食わさないとも限らない恐怖を、人々が深層心理の中に孕(はら)んだ時代だった。
近衛天皇は、当時まだ若く兵庫頭だった源(三位)頼政と、その朗等・猪早太の二人に御所(御殿)の警護をさせ、「鵺(ぬえ)を退治させた」と言う。
内裏(だいり・皇居)は、天皇の平常時における住まいの事で、皇宮(こうぐう)とも言う。
御所の鵺(ぬえ)退治の警備をした源(三位)頼政は、平安時代末期の人物である。
摂津源氏の嫡流である源頼政は、保元の乱では後白河天皇(第七十八代)方に属して平清盛、源義朝(頼朝の父)らと共に崇徳上皇方と戦った。
源氏嫡流の摂津源氏の武将だった源頼政が、三位頼政(さんいのよりまさ)と呼ばれたのは、平治の乱の折りに御所の大内(内裏/だいり)守護としての立場から、幼帝・六条天皇(ろくじょうてんのう・第七十九代)と後白河法皇を奉じていた平清盛方の陣営に助勢、その功績でそれまで源氏の最高位が正四位下が定番だった叙任慣習を破り従三位に叙せられたからである。
後に後白河天皇の皇子、以仁王(もちひとおう)の令旨に従い、木曾(源)義仲より早く、伊勢平氏の平清盛一族打倒の最初の挙兵を行い、嫡子の源仲綱や源宗綱らと共に平氏と戦い、宇治(宇治橋の合戦)にて討ち死した人物だった。
【伊豆の国長岡・あやめ御前と源頼政の物語】に続く。
【豆まき・「鬼は内」に隠された歴史の真実】に続く。
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